コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊藤庸夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 庸夫
名前
カタカナ イトウ ツネオ
ラテン文字 ITO Tsuneo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1941年????
出身地 東京都
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1966-1967 三菱重工
1. 国内リーグ戦に限る。2013年5月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

伊藤 庸夫(いとう つねお[1]1941年[1] - )は、東京都出身の実業家。TM ITO Ltd.代表取締役。主にスポーツにおけるマネージメントやコンサルティング業務を行っている。

来歴

[編集]

東京都生まれ。中学までは東京の学校で過ごしている[2]。また中学からサッカーを始める[3]

高校は埼玉県立浦和高等学校へ進学する。所属したサッカー部では福原黎三に指導を受けフォワード(ウイング)として活躍、犬飼基昭竹嶋住夫日立/JFA海外国際委員)、松本光弘筑波大学名誉教授/サッカー部監督)らとプレーした[2][4]

大学は京都大学法学部へ進み、京都大学蹴球部でプレーした[2][3]

1966年、大学を卒業し、三菱重工業へ入社。三菱重工業サッカー部にはFWとして2年間在籍した[3]

以降は三菱重工での社業に専念し、1980年に三菱重工ロンドン事務所に転勤する[3]。後に東芝インターナショナル・ヨーロッパ社に転職、その後退職し1989年ロンドンで個人会社TM ITO Ltd.を立ち上げスポーツマネージメントおよびコンサルタント業務に関わる[2][3]。またロンドンに移り住んだ1980年から日本サッカー協会国際委員として長く活躍し、1990年代初頭にはJリーグ創設に向けたプロジェクトに参加している[2]

1994年、帰国しJリーグ・サンフレッチェ広島強化部長(国際担当部長[5]GM業務全般は今西和男が担当)に就任する[2][3]。同年には1stステージ優勝を経験している。1996年に退団、以降は2002 FIFAワールドカップ招致プロジェクトに参加している[2][3]

2004年から2006年までびわこ成蹊スポーツ大学で教授として教壇に立つ[2]

2007年、佐川急便東京SC佐川急便大阪SCの合併によりSAGAWA SHIGA FCが創部されると、そのGMに就任する[2]。3年間でJFL2度の優勝を飾っているが、2008年シーズンは監督人事をめぐり低迷している。2008年JFL評議会議長。

略歴

[編集]

以下、2009年以降に公開している略歴を示す[1]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 - 天皇杯 期間通算
1966 三菱 JSL -
1967 三菱 JSL -
通算 日本 JSL -
総通算 -

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 伊藤 庸夫”. ヒューマンアカデミー. 2013年5月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 元暁FC 会員 伊藤庸夫氏講演会のお知らせ” (PDF). 暁FC (2012年). 2013年5月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g サッカーフォーラム in 兵庫 第5回”. 兵庫県サッカー協会. 2013年5月22日閲覧。
  4. ^ 埼玉県立浦和高校サッカー部時/ 自己紹介(2) 埼玉県立浦和高校サッカー部時代”. 竹嶋住夫公式ブログ (2012年1月9日). 2013年5月22日閲覧。
  5. ^ 優れた指導者の条件:横田和幸”. ニッカンスポーツ記者コラム (2005年5月23日). 2013年5月22日閲覧。

関連項目

[編集]