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藤原忠直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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藤原 忠直
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 保元元年7月11日1156年8月5日[1]
別名 伊藤六[2]
主君 清盛
氏族 藤原北家秀郷流、伊藤氏[2]
父母 藤原景綱
兄弟 景家忠清忠直[2]
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藤原 忠直(ふじわら の ただなお)は、平安時代後期の武士伊勢平氏郎党。同じく平氏に仕えた藤原忠清の弟[2]

人物

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保元元年(1156年保元の乱後白河天皇方として参戦した平清盛に、父・景綱や兄・忠清とともに従う[3]7月11日白河北殿夜襲において父兄とともに先陣を務め、西門防衛の将・源為朝と対峙する。忠直は真っ先に攻め込んだが為朝の強弓によって頑丈な鎧ごと貫かれて落馬した。忠清は忠直の首級を挙げさせないため自ら首を取った[1]

脚注

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出典

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  1. ^ a b 柳瀬 et al. 2002, pp. 276–279.
  2. ^ a b c d 安田 1979.
  3. ^ 柳瀬 et al. 2002, p. 269.

参考文献

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  • 柳瀬喜代志; 矢代和夫; 松林靖明 ほか 編『将門記 陸奥話記 保元物語 平治物語小学館〈新編日本古典文学全集〉、2002年。ISBN 4096580414 
  • 安田元久 著「伊藤氏」、国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 6巻、吉川弘文館、1979年。ISBN 4642005013