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伊藤正男 (技術者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 正男
生誕 (1911-06-15) 1911年6月15日
日本の旗 日本
死没 (2002-04-25) 2002年4月25日(90歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 明治専門学校(現九州工業大学)
主な業績 自動車用ディーゼルエンジンの開発普及、科学技術の振興
主な受賞歴 自動車技術会賞
日本機械学会賞
藍綬褒章
勲三等瑞宝章
日本自動車殿堂殿堂者
プロジェクト:人物伝
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伊藤 正男(いとう まさお、1911年6月15日 - 2002年4月25日)は、日本工学者実業家

東京都出身。明治専門学校(現九州工業大学工学部機械工学科卒業。いすゞ自動車取締役社長、取締役会長、理事を歴任。

いすゞの前身である自動車工業株式会社の成立直後に入社、同社のディーゼルエンジン研究開始(1934年)当初から開発に従事し、現役技術者としての経歴を一貫してエンジン技術に傾注した。長きにわたり自動車用ディーゼルエンジンの開発普及に努め、日本における自動車用ディーゼルエンジンの育ての親と呼ばれる。伊藤の主導で開発された予燃焼室式高速ディーゼルエンジンの基本設計は、日本陸軍の標準エンジン・統制型一〇〇式発動機の燃焼室設計に採用され、のち1970年代に直噴式エンジンが市場の主流になるまで、30年以上にわたり日本製の高速ディーゼル機関向け基本レイアウトとして広く利用された。

略歴

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  • 1911(明治44)年6月15日-生誕
  • 1932(昭和7)年3月-明治専門学校(現九州工業大学工学部機械工学科卒業
  • 1932(昭和7)年8月-陸軍運輸部(広島県宇品)入部
  • 1933(昭和8)年12月-自動車工業㈱( 1949年いすゞ自動車に社名変更)入社、研究部に勤務
  • 1944( 昭和19)年1月-同社技術部設計第一課長
  • 1950(昭和25)年4月-同社研究部部長
  • 1956(昭和31)年8月-同社取締役
  • 1962(昭和37)年6月-同社常務取締役
  • 1970(昭和45)年6月-同社専務取締役
  • 1976(昭和51)年2月-車体工業㈱取締役会長
  • 1979(昭和54)年5月-同社取締役社長
  • 1982(昭和57)年1月-自動車部品製造㈱取締役社長
  • 1984(昭和59)年1月-同社取締役会長
  • 1986(昭和61)年3月-いすゞ自動車理事
  • 2002(平成14)年4月25日-逝去 享年90歳

実績

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  • 1936(昭和11)年-予燃焼室式 空冷DA6型完成
  • 1939(昭和14)年-DA10型、DA20型ディーゼルエンジン完成
    予燃焼室式 水冷DA40型ディーゼルエンジン完成統制型エンジン指定
  • 1952(昭和27)年-日本初の出力向上対策過給機実用化
  • 1954(昭和29)年-自動車技術会賞受賞( 自動車用過給ディーゼル機関)
  • 1960(昭和35)年-日本初のディーゼルエンジン小型商業車エルフ発表
  • 1961(昭和36)年-ディーゼルエンジン乗用車ベレル発表
  • 1963(昭和38)年-日本機械学会賞受賞( ディーゼル乗用車量産化技術)
  • 1972(昭和47)年11月-「ディーゼル自動車の製造技術の指導育成」などに対する事績により藍綬褒章受章
  • 1982(昭和57)年4月-「自動車用ディーゼルエンジンの開発普及、科学技術の振興」などに関する功績により勲三等瑞宝章受章

参考資料

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