伊藤義雄
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伊藤 義雄 | |
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生誕 |
1887年5月25日 日本 東京府 |
死没 | 1971年10月2日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1906年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
伊藤 義雄(いとう よしお、1887年(明治20年)5月25日[1] - 1971年(昭和46年)10月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第30期卒業[1]。1930年(昭和5年)8月1日、陸軍砲兵大佐進級と同時に第1師団司令部附となり[2]、慶應義塾大学に配属された[2]。1932年(昭和7年)1月に野戦重砲兵第1連隊長に転じ[2]、1933年(昭和8年)12月に陸軍工科学校教授部長に就任した[2]。
1935年(昭和10年)8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍工科学校長に着任[1][2]。1936年(昭和11年)関東軍兵器部長に就任し[1]、この間1937年(昭和12年)8月30日から9月23日まで関東軍臨時兵站監を務めた[2]。1938年(昭和13年)7月15日、陸軍中将進級と同時に旅順要塞司令官に着任し[1][2]、1939年(昭和14年)8月1日に待命[1]、9月3日に予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。