コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊藤義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 義雄
生誕 1887年5月25日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1971-10-02) 1971年10月2日(84歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1906年 - 1939年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

伊藤 義雄(いとう よしお、1887年明治20年)5月25日[1] - 1971年昭和46年)10月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

[編集]

1887年(明治20年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第30期卒業[1]1930年(昭和5年)8月1日陸軍砲兵大佐進級と同時に第1師団司令部附となり[2]慶應義塾大学に配属された[2]1932年(昭和7年)1月に野戦重砲兵第1連隊長に転じ[2]1933年(昭和8年)12月に陸軍工科学校教授部長に就任した[2]

1935年(昭和10年)8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍工科学校長に着任[1][2]1936年(昭和11年)関東軍兵器部長に就任し[1]、この間1937年(昭和12年)8月30日から9月23日まで関東軍臨時兵站監を務めた[2]1938年(昭和13年)7月15日、陸軍中将進級と同時に旅順要塞司令官に着任し[1][2]1939年(昭和14年)8月1日に待命[1]9月3日予備役に編入された[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

栄典

[編集]
勲章等

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 89頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 231頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」36頁。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026