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伊藤蘭 通りすぎる夜に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤蘭 通りすぎる夜に
ジャンル トーク番組
放送期間 1980年4月7日 - 1982年4月2日
放送時間 毎週月曜日 - 金曜日 24:20 - 24:30
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ 伊藤蘭
ディレクター 森谷和郎[1]
提供 トヨタ自動車
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伊藤蘭 通りすぎる夜に(いとうらん・とおりすぎるよるに)はニッポン放送1980年4月7日から1982年4月2日まで放送されていたラジオのトーク番組。

トヨタ自動車一社提供[2]

概要

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1978年4月4日キャンディーズ解散後、休業期間を経て1980年に本格的に活動を再開した伊藤蘭の再開後初のレギュラーラジオ番組[3]。本番組で実質上の復帰であり、当時これは話題となってスポーツ新聞だけでなく一般紙上にも「ランちゃん、ラジオで復帰」といった内容の記事が掲載されていた[1]

週替わりで決められたひとつのテーマごとに進行され、主に伊藤自らのトークとリスナーからのはがき紹介などで構成[1]クリストファー・クロスダン・フォーゲルバーグなどAORの曲が良くかかっていた[1]絵本など書物の朗読の企画も行われ、2年間で500回以上放送された[3]

本番組の構成作家は共に当時新人だった、藤井青銅と向井勉の二人が担当。この二人に本番組のコンセプトとして、ディレクターの森谷和郎は「(伊藤蘭が)これから大人の女優として活動していくのにあたり、キャンディーズ時代のようなアイドル番組ではなく、自分のことが語れる大人の番組にしたい」といったことを話していたという[1]

自分は元々「しゃべるというのは苦手」として、本番組でのトークについて「“通りすぎる夜に”という番組名の通り、軽い雰囲気だから、自分の主張をしたいとか思ってなかった」「構えていたんじゃないけれど、自分で(どこまで話すか)範囲を決めちゃった所があって。後半はそれが少し広がったと思う」と、本番組が終了した直後のインタビューで話していたことがある[3]。また、本番組に対する姿勢について以下のようにも語っている。

さりげない私が出ていればいいと思って、自分に語りが無くても、やっぱり自分の言葉で喋れればいいと思う。その後開き直って楽にはなりましたけど。 — 伊藤蘭、[3]

なお、本番組が終了して30年に当たる2012年12月27日に本番組を受け継ぐ特別番組『伊藤蘭 通り過ぎる季節に』を放送。更にその10年後の2022年9月28日から、伊藤にとって40年ぶりとなる同じニッポン放送でのレギュラー番組『伊藤蘭 RAN To You』がスタートしている[4][5]

放送されていた局

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脚注

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  1. ^ a b c d e 藤井青銅・著『ラジオな日々 -80s RADIO DAYS-』(小学館、2007年4月)p.91 - 97
  2. ^ a b ラジオ新番組速報版三才ブックス)1981年春号・1981年秋号 それぞれニッポン放送番組表。
  3. ^ a b c d ラジオマガジン 1982年6月号 p.36 - 37 伊藤蘭インタビュー
  4. ^ 渡邉尚伸「伊藤蘭、40年ぶりラジオレギュラー 28日からニッポン放送「伊藤蘭 RAN To You」 夫・水谷豊もゲスト出演!?「交渉してみます」」『サンケイスポーツ』2022年9月27日。2022年9月27日閲覧。
  5. ^ 伊藤蘭 40年ぶりのレギュラー番組がこの秋スタート!「ぜひ、番組にご参加ください」」『ニッポン放送』2022年9月27日。2022年9月27日閲覧。
  6. ^ a b c d ラジオ新番組速報版三才ブックス)1981年春号・1981年秋号 青森放送・岩手放送・福井放送・山陽放送 各局番組表。
  7. ^ a b c 季刊ランラジオ(自由国民社)1981年11月号 青森放送・福井放送・山陽放送 各局番組表。
ニッポン放送 月曜日 - 金曜日 24:20 - 24:30 (トヨタ自動車一社提供枠)
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ベンガルエルの夜のおふれあい
伊藤蘭 通りすぎる夜に
電リクパジャマミュージック
(※『くるくるダイヤル ザ・ゴリラ
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