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伊達武四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊達 武四郎(だて たけしろう、1868年9月28日明治元年8月13日[1]) - 1908年明治41年)7月25日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

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宇和島藩の最後の藩主である伊達宗徳の子として生まれる。母は平戸藩最後の藩主の松浦詮の娘[2]ドイツに留学し、ベルリン大学ライプチヒ大学で学び、ドクトル・ユーリス学位を受ける[2]。次いでイギリスへ留学する[2]

帰国後の1902年第7回衆議院議員総選挙において愛媛県郡部から壬寅会公認で立候補してトップ当選する[3]。つづく1903年第8回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して再選[4]。衆議院議員を2期務め、1904年第9回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年に死去した。

脚注

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  1. ^ 衆議院 編『『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』』衆議院公報附録、1903年、25頁。NDLJP:900093 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』396頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』38頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』42頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。