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伊号第百五十四潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊154から転送)
艦歴
計画 大正12年度艦艇補充計画
起工 1924年11月15日
進水 1926年3月15日
就役 1927年12月15日
除籍 1945年11月20日
その後 1946年5月 伊予灘で海没処分
性能諸元
排水量 基準:1,635トン 常備:1,800トン
水中:2,300トン
全長 100.58m
全幅 7.98m
吃水 4.83m
機関 ズルツァー[1]3号ディーゼル2基2軸
水上:6,800馬力
水中:1,800馬力
速力 水上:20.0kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:10ktで10,000海里
水中:3ktで90海里
燃料 重油:241.8t
乗員 63名
兵装 40口径十一年式12cm単装砲1門
留式7.7mm機銃1挺
53cm魚雷発射管 艦首6門、艦尾2門
六年式魚雷16本
Kチューブ(水中聴音機)
備考 安全潜航深度:60m

伊号第百五十四潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第五十四潜水艦(初代)。

艦歴

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  • 1924年(大正13年)11月1日 - 当初の艦名第七十七潜水艦伊号第五十四潜水艦に改名。
  • 1926年(大正15年)3月15日 - 進水
  • 1927年(昭和2年)12月15日 - 竣工。第18潜水隊に編入[2]
  • 1932年(昭和7年)2月10日 - 五島灘大立島南方で演習中に舵が故障し、伊55の艦尾と接触して損傷。佐世保に帰投し修理を実施し、その間、1934年11月まで予備艦となる[2]
  • 1937年(昭和12年)11月1日 - 1938年3月まで予備艦となる[2]
  • 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を伊五十三型に改正[3]
  • 1941年(昭和16年)6月19日 - 同年8月まで予備艦となる[2]
  • 1942年(昭和17年)1月12日 - カムラン湾を出航し、シンガポール方面で活動[4]
    • 2月24日 - スンダ海峡南口でタンカーを攻撃するが、命中せず[5]
    • 3月1日 - チラチャップ近海で商船を攻撃するが、命中せず。
    • 3月2日 - チラチャップ近海で蘭船マジョカート(Modjokerto、8,806トン)を撃沈[5]
    • 3月9日 - セレベス島スターリング湾に到着。16日に出航[4]
    • 3月10日 - 呉鎮守府部隊に編入[4]
    • 3月25日 - 入港。以後、潜水学校の訓練に従事[2]
    • 5月20日 - 伊号第百五十四潜水艦に改名。
  • 1944年(昭和19年)1月31日 - 予備艦となり潜水学校に繋留されて終戦を迎える[4]
  • 1946年(昭和21年)5月 - 伊予灘で米軍により海没処分。

撃沈総数1隻、撃沈トン数8,806トン。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』422-423頁による。

艤装員長

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  • 高塚省吾 少佐:1927年4月20日 - 1927年8月10日

艦長

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  • 高塚省吾 少佐:1927年8月10日 - 1929年5月15日
  • 大和田昇 少佐:1929年5月15日 - 1930年11月1日
  • 大倉留三郎 少佐:1930年11月1日 - 1932年3月3日
  • 竹崎馨 少佐:1932年3月3日[6] - 1934年11月15日[7]
  • 荒木伝 少佐:1934年11月15日 -
  • 藤本伝 少佐:不詳 - 1937年4月20日[8]
  • 楢原省吾 少佐:1937年4月20日 - 1938年3月19日
  • 田中万喜夫 少佐:1938年3月19日 - 1938年7月30日[9]
  • 横田稔 少佐:1938年7月30日 - 1939年10月20日[10]
  • 柴田源一 少佐:1939年10月20日 - 1941年3月4日[11]
  • 田岡清 少佐:1941年3月4日[11] - 1941年6月19日[12]
  • (兼)中島栄 少佐:1941年6月19日[12] - 1941年8月15日[13]
  • 田岡清 少佐:1941年8月15日[13] - 1941年10月31日[14]
  • 小林茂男 少佐:1941年10月31日 -
  • 坂本栄一 少佐:1942年6月5日 -
  • 湯浅弘 大尉:1942年10月15日 -
  • 山口幸三郎 少佐:1943年3月16日 -
  • 山口一生 少佐:1943年5月20日 -

脚注

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  1. ^ スイス・SULZER社。英語読みではスルザー。
  2. ^ a b c d e 『艦長たちの軍艦史』422-423頁。
  3. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  4. ^ a b c d e f 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』71頁。
  5. ^ a b 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』96頁。
  6. ^ 『官報』第1551号、昭和7年3月4日。
  7. ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
  8. ^ 『官報』第3088号、昭和12年4月21日。
  9. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第218号 昭和13年7月30日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  10. ^ 海軍辞令公報(部内限)第393号 昭和14年10月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076500 
  11. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第599号 昭和16年3月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080500 
  12. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第658号 昭和16年6月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081400 
  13. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第692号 昭和16年8月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700 
  14. ^ 海軍辞令公報(部内限)第737号 昭和16年10月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9

関連項目

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