伊号第六十一潜水艦
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(伊61から転送)
艦歴 | |
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計画 | 大正12年度艦艇補充計画 |
起工 | 1926年11月15日 |
進水 | 1927年11月12日 |
就役 | 1929年4月6日 |
その後 | 1941年10月2日沈没 |
除籍 | 1942年4月1日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,635トン 常備:1,720トン 水中:2,300トン |
全長 | 97.70m |
全幅 | 7.80m |
吃水 | 4.83m |
機関 | ラ式2号ディーゼル2基2軸 水上:6,000馬力 水中:1,800馬力 |
速力 | 水上:20.0kt 水中:8.5kt |
航続距離 | 水上:10ktで10,800海里[1] 水中:3ktで60海里 |
燃料 | 重油:230t |
乗員 | 58名 |
兵装 | 40口径十一年式12cm単装砲1門 留式7.7mm機銃1挺 53cm魚雷発射管 艦首4門、艦尾2門 八九式魚雷14本 Kチューブ(水中聴音機) |
備考 | 安全潜航深度:60m |
伊号第六十一潜水艦(いごうだいろくじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十二型潜水艦(海大IV型)の1番艦。太平洋戦争開戦直前、衝突事故により沈没[2]。
艦歴
[編集]- 1926年(大正15年)11月15日 - 三菱神戸造船所で起工。
- 1927年(昭和2年)11月12日 - 進水
- 1929年(昭和4年)4月6日 - 竣工。佐世保鎮守府籍
- 1932年(昭和7年)11月1日 - 1934年6月まで予備艦となる[4]。
- 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を伊六十一型に改正[5]。
- 1939年(昭和14年)3月11日 - 三田尻沖で駆逐艦「矢風」と衝突し損傷。修理を行う[3]。
- 1940年(昭和15年)3月20日 - 第29潜水隊(伊61、伊62、伊64)は佐世保で第三予備艦となる[4]。
- 1941年(昭和16年)1月8日 - 足摺岬南方で「杭州丸」と触衝事故を起す[3]。
- 1942年(昭和17年)1月20日 - 船体引き揚げ。
- 4月1日 - 除籍。
沈没の状況
[編集]1941年(昭和16年)10月2日、佐世保を特設潜水母艦「りおでじゃねろ丸」と共に出航し、艦隊集合地点の山口県室積沖を目指して航行していた。23時21分頃、壱岐水道烏帽子島灯台西方付近で、長崎橘港へ向かっていた特設砲艦「木曾丸」に衝突され沈没。同乗の第29潜水隊司令・久米幾次中佐、広川艦長以下70名が殉職した。衝突の主な原因は「木曾丸」が「りおでじゃねろ丸」を反航した後に目にした赤灯を、小型船と誤認して航行を続けたことにあった[6]。及川古志郎海軍大臣から報告を受けた昭和天皇は、鮫島具重侍従武官を連合艦隊に派遣している[2]。
歴代艦長
[編集]※『艦長たちの軍艦史』428頁による。
艤装員長
[編集]- 吉富説三 少佐:1928年5月16日 - 1929年4月6日
艦長
[編集]- 吉富説三 少佐:1929年4月6日 - 11月5日
- 中邑元司 少佐:1929年11月5日 - 1931年12月1日
- 林一雄 少佐:1931年12月1日 - 1934年6月1日
- 小野良二郎 少佐:1934年6月1日 - 1935年11月15日
- 畑中純彦 少佐:1935年11月15日 -
- (兼)大竹寿雄 中佐:1936年1月27日 - 1936年2月15日
- 藤井明義 少佐:1936年2月15日 - 1936年6月30日
- 石川信雄 少佐:1936年6月30日 - 1937年12月1日[7]
- 松村寛治 少佐:1937年12月1日 - 1938年11月15日
- 大畑正 少佐:1938年11月15日 - 1939年11月15日[8]
- 上野利武 少佐:1939年11月15日 - 1940年3月20日[9]
- (兼)小川綱嘉 少佐:1940年3月20日[9] - 1940年4月15日[10]
- 中村省三 少佐:1940年4月15日 - 1940年10月15日[11]
- 広川隆 少佐:1940年10月15日 - 1941年10月2日殉職
脚注
[編集]- ^ もしくは10ktで10,000海里(『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』p57の表より)。
- ^ a b #昭和天皇実録八巻493頁(伊号潜水艦沈没事件)
- ^ a b c d 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』72頁。
- ^ a b c 『艦長たちの軍艦史』428頁。
- ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
- ^ 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』103頁。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第453号 昭和15年3月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077800
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第466号 昭和15年4月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077900
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000
参考文献
[編集]- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 宮内庁 編『昭和天皇実録 第八 昭和十五年至昭和十七年』東京書籍株式会社、2016年3月。ISBN 978-4-487-74408-4。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
関連項目
[編集]- 佐多 (給油艦) - 伊61の引き揚げ作業に従事。