伴彦貞
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時代 | 平安時代中期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従四位下・近江守 |
主君 | 朱雀天皇→村上天皇 |
氏族 | 大伴氏 |
父母 | 父:伴保平 |
兄弟 | 仲舒、彦貞 |
子 | 忠陳 |
伴 彦貞(とも の ひこさだ)は、平安時代中期の貴族。参議・伴保平の子。官位は従四位下・近江守。
経歴
[編集]従五位下・讃岐介に叙任されたのち、天慶5年(942年)かつての越中国の国司としての功労により従五位上に叙される。のち、美濃守を経て、天暦8年(954年)播磨守、天徳3年(959年)近江守と地方官を歴任し、位階は従四位下に至った。
官歴
[編集]- 時期不詳:従五位下。讃岐介[1]
- 天慶5年(942年) 4月25日:従五位上(越中功課)[1]
- 天暦元年(947年) 12月25日:見讃岐介[2]
- 時期不詳:美濃守。従四位下[3]
- 天暦8年(954年) 5月:播磨守[3]
- 天徳3年(959年) 正月28日:近江守[3]
系譜
[編集]『地下家伝』による。
- 父:伴保平
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:伴忠陳
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年