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佐々木吉三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 吉三郎
誕生 (1872-12-15) 1872年12月15日明治5年11月15日
宮城県遠田郡桜田高野村(現・大崎市
死没 (1924-11-20) 1924年11月20日(51歳没)
職業 教育者
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 高等師範学校文科
代表作 『国語教授法集成』『修身教授法集成』(1906年)
『教育的美学』(1911-1912年)
『家庭改良と家庭教育』(1917年)
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佐々木 吉三郎(ささき きちさぶろう、明治5年11月15日[1]1872年12月15日) – 大正13年(1924年11月20日)は、日本の教育学者

経歴

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宮城県出身。宮城県師範学校を経て、1899年(明治32年)に東京高等師範学校を卒業。東京高等師範学校附属小学校訓導、東京高等師範学校助教授、同教授を歴任した。1907年(明治40年)から1909年(明治42年)までドイツに留学。帰国後、東京高等師範学校教授・同附属小学校主事を務めた。

その後、東京市視学[2]、同学務課長[3]に就任した。

著作

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佐々木吉三郎
著書
訳書
編書
  • 『尋常小学唱歌』全12巻、納所弁次郎田村虎蔵共編、日本書籍、1905年-1906年
  • 『抜萃 尋常小学唱歌』全6巻、納所弁次郎、田村虎蔵共編、佐藤勝太郎、1914年4月
  • 『実業之日本社派遣 渡米小学校長団視察報告』 実業之日本社、1919年2月

脚注

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  1. ^ 人事興信録 1918.
  2. ^ 『大正10年 職員録』印刷局、1921年、p.885
  3. ^ 『大正13年 職員録』印刷局、1924年、p.932

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 

関連文献

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  • 『教育研究』第230号、初等教育研究会、1921年11月
  • 羽生健雄 「佐々木吉三郎」(石森芳男編輯 『郷土人物伝』 宮城県教育会、1929年12月)
  • 大桃伸一 「佐々木吉三郎」(河北新報社宮城県百科事典編集本部編 『宮城県百科事典』 河北新報社、1982年4月)
  • 大槻宏樹 「佐々木吉三郎 : 全体と個の社会教育」(全日本社会教育連合会編 『社会教育論者の群像』 全日本社会教育連合会、1983年5月)
  • 鈴木博雄 「佐々木吉三郎 : コイコイ主義の指導法」(唐沢富太郎編著 『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 中巻』 ぎょうせい、1984年4月)
  • 野地潤家 「佐々木吉三郎」(国語教育研究所編 『国語教育研究大辞典』 明治図書出版、1988年)

外部リンク

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公職
先代
(新設)
第二東京市立中学校長事務取扱
1924年
次代
校長
高藤太一郎
先代
主事事務取扱
波多野貞之助
日本の旗 東京高等師範学校附属小学校主事
1910年 - 1921年
次代
佐々木秀一