佐々木昌信
2019年7月16日 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県館林市 |
生年月日 | 1969年8月6日(55歳) |
選手情報 | |
ポジション | 一塁手、外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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佐々木 昌信(ささき まさのぶ、1969年8月6日 - )は、日本の元プロ野球審判員。NPB審判員袖番号は38。東都大学野球連盟審判員。浄土真宗の僧
経歴
[編集]群馬県館林市出身。館林市立第一小学校[1]、館林市立第一中学校[2]、群馬県立館林高等学校[2]、大谷大学卒業[2]。
小学校時代は剣道をやっていたが、高校に入ってから本格的に野球を始めたという。実家は浄土真宗の寺で佐々木自身は長男でもあり、実質的には寺の後継者であったため、仏教を学ぶべく大谷大学文学部真宗学科へ入学[2]。父親からは「大学卒業して実家へ帰るまでは好きなことをやって良い」と言われたので、大谷大学でも硬式野球部に入部した。大谷大学時代は一塁手・外野手でプレー、京滋大学野球リーグ公式戦に出場し、大学2年の時にはリーグ優勝も経験し、3年秋のリーグでは外野手でベストナインも受賞している[2]。
佐々木は大学卒業時には社会人野球のチームに入ろうかと思っているうちに、京滋大学野球連盟の審判を指導していたプロ野球審判OBから「プロ野球の審判員のテストを受験してみれば」と勧められた。本人は合格すると思わずにテストを受けたところ、合格したことでプロ野球審判となった[2][3]。
1992年、セントラル・リーグ審判員。審判員袖番号は38。1995年5月5日の阪神タイガース対広島東洋カープ4回戦において三塁塁審としてデビュー。引退した2020年シーズン終了時点で2414試合出場。オールスターゲーム4回(2000年、2003年、2011年、2019年。2003年第2戦、2019年第1戦で球審)、日本シリーズ6回(2004年、2007年、2009年、2011年、2013年、2015年。2004年第3戦、2007年、2011年第4戦、2013年第1戦、2015年第5戦で球審)の出場。若くして1000試合出場を達成。また、2006年に審判員奨励賞を受賞している。
2009年10月11日、神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズで三塁塁審を務めた佐々木は、3-2と中日が1点リードしている7回裏一死一塁の場面で、ジェイミー・デントナが放ったレフトポール際への大飛球をホームランと判定し、4-3とヤクルトが逆転に成功した。しかし、中日の監督の落合博満がスコアボードで流れたVTRをみて「ファウルだ」と17分間にわたって猛抗議を行った。審判団が協議をしたが、判定はホームランのまま覆ることはなかった[注 1]。落合は5分以上の抗議をし、選手を引き揚げさせるなどしたため、遅延行為を理由に退場処分を受け、試合もそのままヤクルトが勝った。
球審を務める際、2012年シーズンまではヘルメットと一体化したマスクを使用していたが、翌2013年からは従来タイプに戻った。球審時のストライクコールや立ち振る舞いが独特である。この独特な立ち振る舞いが話題だった頃、東京ドームの試合で球審を務めた際に、コール時に両手でゲッツのような恰好をする事から、当時巨人ベンチに居た清原和博と元木大介と江藤智に真似をされ、右手で(止めなさい)という仕草をしたというやり取りの映像が、当時放送されていたプロ野球珍プレー好プレーで紹介された事がある[4]。
2013年よりクルーチーフに昇任。
2014年シーズンより、ストライクコール時の立ち振る舞いが大きく変わっている。
2016年5月17日、福岡ソフトバンクホークス対北海道日本ハムファイターズ9回戦(北九州市民球場)にて二塁塁審を務め、史上64人目の通算2000試合出場を達成した[5]。
2017年の第4回WBCでは、カリフォルニア州サンディエゴで行われた2次ラウンドF組において4試合で審判を務めた[6][7][8][9]。
上述のように実家は真宗大谷派の覚応寺(佛光山覺應寺)であり、佐々木自身も僧侶の資格を持っている。プロ野球のシーズンオフには館林へ帰省して実家の寺の手伝いをしていた[3]。
2020年シーズンをもってNPB審判を引退し前述の実家の寺を継ぐ。最後の出場試合は2020年11月4日にメットライフドームで行われた埼玉西武ライオンズ対北海道日本ハムファイターズ最終戦の三塁塁審だった[10]。また、クルーチーフの役職を維持したままで引退した審判員は、佐々木が初めてである。
2021年より住職の傍ら、東都大学野球連盟の審判員も務める[11]。
審判出場記録
[編集]- 初出場:1995年5月5日、広島東洋カープ対阪神タイガース4回戦(広島)、三塁塁審
- 出場試合数:2414試合(セ・リーグ1747、パ・リーグ376、交流戦219、日本シリーズ27、オールスター10、クライマックスシリーズ35)
- オールスター出場:4回(2000年、2003年、2011年、2019年)
- 日本シリーズ出場:6回(2004年、2007年、2009年、2011年、2013年、2015年)
(記録は2020年シーズン終了時)
表彰
[編集]- セントラル・リーグ審判員奨励賞:1回(2006年)
- 最優秀審判員賞:1回(2015年)
- (記録は2019年シーズン終了時)
著作物
[編集]- 『プロ野球 元審判は知っている』(ワニブックス 2022年3月 ISBN 978-4847066719)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “平成29年度 スポーツ少年団の取り組み”. 館林市立第一小学校. 2017年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月29日閲覧。
- ^ a b c d e f “佐々木昌信さんに聞く 衝撃的だったムービングファーストボール” (PDF). 館高東京同窓会会報. p. 10-13. 2017年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月29日閲覧。
- ^ a b “【ザ・アンパイア】 実家は寺!袈裟をプロテクターに代えた佐々木”. J SPORTS. 2014年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月29日閲覧。
- ^ 清原、元木らの審判イジりにヌートバー「メジャーならすぐ退場」 追いペッパー→「おっおおー!」/野球/デイリースポーツ online
- ^ 佐々木昌信審判員 2000試合出場達成のお知らせ - NPBニュース(日本野球機構オフィシャルサイト)、2016年5月17日
- ^ “MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月12日閲覧。
- ^ “MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月12日閲覧。
- ^ “MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月12日閲覧。
- ^ “MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月12日閲覧。
- ^ 審判の佐々木昌信氏が引退 今後は実家の寺継ぐ予定 日刊スポーツ 2020年11月4日
- ^ 元NPB審判員が、東都大学野球で住職との二刀流デビュー 法事少ない「平日は時間がある」 Sponichi Annex 2021年3月30日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- NPB審判員 佐々木昌信 - NPB.jp 日本野球機構
- 真宗大谷派佛光山太子院 覺應寺