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佐々木松坪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐々木 松坪(ささき しょうへい、1838年天保9年1月[1][2])- 1907年明治40年)1月2日[1])は、幕末の村役人、明治期の政治家実業家衆議院議員

経歴

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越後国蒲原郡上早通村(新潟県[1]蒲原郡上早通村[3]、早通村、中蒲原郡早通村[2]亀田町[3]新潟市を経て現同市江南区亀田早通)で大庄屋格名主の佐々木家に生まれる[3]。漢学、剣術、馬術を修めた[1][2]。1854年(安政元年)に家督を相続し、名主(里正[1][2])を務めた[3]

明治維新後、区戸長、大区長となる[1][2][3]。その他、新潟県大河津分水用弁掛、同勧農取締、戸籍官戸籍合算掛、地券取調掛、徴兵議員、地租改正調実地丈量顧問、中学区取締、郡長などを務めた[1][2]

1879年(明治12年)新潟県会議員に選出され[3]、同副議長も務めた[1][2]。1883年(明治16年)中蒲原郡長に就任[1][2][3]。1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(新潟県第3区)で当選[3][4]第4回総選挙でも再選され[5]、衆議院議員に通算2期在任した[1][2]

低湿地亀田郷の住民生活を守るため、治水、水利事業の実施に尽力した[3]。1888年(明治21年)県内実業家の結集を目的に殖産協会を設立し[3]、岩越鉄道(磐越西線)の敷設[3]、日本石油(新日本石油)の設立など実業界でも活躍した[3]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員』268頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』193頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『新潟県大百科事典 上巻』580頁。
  4. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』14頁。
  5. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』76頁。

参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 新潟日報事業社編『新潟県大百科事典 上巻』新潟日報事業社、1977年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。