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佐々木藤太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐々木 藤太郎(ささき とうたろう、1867年5月25日(慶応3年4月22日[1][2])- 1948年昭和23年)5月16日[1][3])は、日本の官僚実業家。第2代朝鮮慶尚南道長官。

概要

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長門国厚狭郡のちの厚西村(現山口県山陽小野田市)で、佐々木磯右衛門の二男として生れる[2][4]1889年5月、山口県収税属に任用。その後、東京府収税属に転じた[2]

1894年3月、内閣属に転じ内閣恩給局に勤務。同年7月、明治法律学校(現・明治大学)を卒業。1896年12月、第3回文官高等試験行政科試験に合格し、1897年6月、大蔵省試補に任用され収税局に配属される[5]。その後、松山税務監督局長、仙台税務監督局長などを歴任[4]

1908年4月、大韓帝国の招聘受けて渡韓、同年7月、統監府書記官に就任。朝鮮総督府設立後に臨時土地調査局書記官、度支部書記官などを歴任[4][6]。1913年、第2代朝鮮慶尚南道長官(1919年8月より慶尚南道知事)に就任し、8年以上に渡り務めた(1913年2月14日 - 1921年12月26日)。

1921年に退官し、以後、大洋漁業重役、東亜勧業代表、林兼商店取締役などを務める。

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b 『昭和山口県人物誌』140頁。
  2. ^ a b c 「東京府収税属佐々木藤太郎内閣ニ転任ノ件」
  3. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1948年5月19日朝刊、2面の訃報より。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第6版』さ30頁。
  5. ^ 「佐々木藤太郎大蔵省試補ニ採用ノ件」
  6. ^ 「朝鮮総督府慶尚南道知事佐々木藤太郎賞与ノ件」
  7. ^ 『官報』第2843号「叙任及辞令」1922年1月26日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 現代名士家系譜刊行会『財界家系譜大観』常盤書院、1971年。
  • 佐藤朝泰『閨閥: 日本のニユー・エスタブリッシュメント』立風書房、1987年。
  • 中西輝磨『昭和山口県人物誌』マツノ書店、1990年。
  • 内閣「東京府収税属佐々木藤太郎内閣ニ転任ノ件」明治27年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・任B00051100
  • 内閣「佐々木藤太郎大蔵省試補ニ採用ノ件」明治30年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・任B00138100
  • 内閣「朝鮮総督府慶尚南道知事佐々木藤太郎賞与ノ件」大正10年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-014-00・纂01568100