佐々真之助
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佐々 眞之助(眞之助、ささ しんのすけ、1893年(明治26年)10月13日[1] - 1959年(昭和34年)6月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]福岡県出身[1][2]。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校第27期卒業[3]。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校第37期卒業[4]。
1937年(昭和12年)8月、陸軍省人事局課員を経て、1938年(昭和13年)3月、陸軍歩兵大佐に進級する[2]。
同年7月、陸軍省人事局恩賞課長・陸軍省功績調査部長を経て、1940年(昭和15年)3月、歩兵第85連隊長に補され、日中戦争に出動した[2]。
1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に進み西部軍参謀長に補され、ついで1942年(昭和17年)12月[2]、第19軍参謀長としてインドネシア・アンボンに駐屯[1]。
1944年(昭和19年)1月、第13軍参謀長を経て、同年6月、陸軍中将に進級し、同年11月、第39師団長に補され[2]、四平で終戦を迎えた[1]。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。
1950年、撫順戦犯管理所に収容。
1945年3月 「襄陽城王家営村で、部下に農民を見つけ次第捕まえろと命令し、18名を無実の農民を捕らえた。佐々は
この農民たちの掌に針金を通して一列に並ばせ、新兵の刺突訓練(銃剣で刺し殺す訓練)の標的として殺害させた」(金源,2020)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 金源 『撫順戦犯収容所長の回想』桐書房、2020年143-144ページ