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佐々連鉱山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々連鉱山
所在地
佐々連鉱山の位置(愛媛県内)
佐々連鉱山
佐々連鉱山
所在地伊予三島市金砂町小川山乙2112
都道府県愛媛県
日本の旗 日本
座標北緯33度54分31.3秒 東経133度32分21.4秒 / 北緯33.908694度 東経133.539278度 / 33.908694; 133.539278座標: 北緯33度54分31.3秒 東経133度32分21.4秒 / 北緯33.908694度 東経133.539278度 / 33.908694; 133.539278
生産
産出物黄鉄鉱黄銅鉱斑銅鉱閃亜鉛鉱
生産量239,041t/年(827t/日)
会計年度1962年
歴史
開山1689年
閉山1979年8月
所有者
企業住友金属鉱山株式会社
取得時期1918年
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

佐々連鉱山(さざれこうざん)は、愛媛県伊予三島市(現在の四国中央市)の嶺南地方にあった鉱山

概要

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名称

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住友金属鉱山株式会社佐々連鉱山

所在地

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愛媛県四国中央市金砂町小川山乙2112

鉱床

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三波川結晶片岩帯に属し、富郷・三縄・小歩危の各層が分布しており、緑色片岩・珪質片岩・泥質片岩・砂質片岩を主な構成岩石としている。

鉱種

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黄鉄鉱黄銅鉱斑銅鉱閃亜鉛鉱

沿革

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  • 1689年(元禄2年) 開山
  • 1918年(大正7年) 岩城商会の経営となり、大正7年岩城鉱業株式会社を設立。金砂・金立坑の発見、索道の架設など当山経営の基礎を築く
  • 1942年(昭和17年) 佐々連鉱業株式会社となる
  • 1950年(昭和25年) 別子鉱業株式会社佐々連鉱業所となる。第一次復興起業に着手(25~27年)
  • 1952年(昭和27年) 第二次復興起業に着手(27~29年)。12月、新坑発見
  • 1953年(昭和28年) 6月、金泉坑発見
  • 1955年(昭和30年) 拡張起業に着手(30~31年)
  • 1957年(昭和32年) 300斜坑完成。維持整備起業に着手(32~36年)。中央立坑開削、300斜坑延長。
  • 1959年(昭和34年) 金剛坑発見
  • 1961年(昭和36年) 新泉坑発見
  • 1962年(昭和37年) 4月、中央立坑完成
  • 1964年(昭和39年) 300斜坑延長完成
  • 1965年(昭和40年) 3月、第一先進斜坑完成
  • 1967年(昭和42年) 7月、サブレベル採鉱試験終了。10月、下部立坑33L完成
  • 1969年(昭和44年) 9月、第二先進斜坑完成。圧気高圧化起業に着手(44~45年4月)
  • 1971年(昭和46年) 3月、新風洞完成
  • 1973年(昭和48年) 第三先進斜坑開削起業に着手
  • 1974年(昭和49年) 5月、坑内冷却用クーラー運転開始
  • 1976年(昭和51年) 3月、下部立坑完成
  • 1979年(昭和54年) 8月、鉱山全面廃業(閉山以降も鉱毒水処理の為、鉱山事務所は残存)
  • 2006年(平成18年) 事務所付近立入禁止に。佐々連通洞坑口にフェンス設置
  • 2008年(平成20年) 佐々連鉱山新坑エリアほぼ全面立入禁止に

最盛期

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出鉱量

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人口

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  • 佐々連 3,894人 ※昭和38年
  • 佐々連以外 457人
  • 金砂町計 4,351人

世帯数

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  • 佐々連 1,000戸 ※昭和38年
  • 佐々連以外 123戸
  • 金砂町計 1,123戸

現在

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地面陥没の恐れにより、現在は新坑エリア内への立ち入りは禁止されているが、フェンス外から坑廃水処理施設・通電室跡・貯鉱庫跡・佐々連鉱山碑・佐々連通洞跡などが確認出来る。周囲には、社宅跡・小学校跡・ズリ山など(フェンス外)がある。旧坑エリアは立ち入り自由(坑口は閉鎖)だが、そこへ行くまでのアクセス道が3km近くあるダートである為、四輪駆動車でないと厳しい。また、国道319号上小川の佐々連分岐から約500m西へ進んだ所から、金砂湖上に架空索道支柱の遺構も確認出来る。この遺構は、翠波峰西峰展望台からも確認出来る。

参考文献

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伊予三島市史、上巻・下巻

脚注

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関連項目

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外部リンク

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