佐久間信実
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正元年(1573年) |
死没 | 元和6年7月8日(1620年8月6日) |
別名 | 通称:新十郎 |
戒名 | 光金 |
墓所 | 東京都新宿区四谷の全勝寺 |
主君 | 徳川秀忠 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間信盛、養父:佐久間信栄 |
兄弟 |
信栄、兵衛介、信実、安見右近大夫室、 福島正頼側室、佐々氏室 養兄弟:孫九郎、甚九郎、織田貞置正室、 佐久間信勝室、安見元勝室、ほか4女、 信勝、信重 |
子 | 信由、盛郎 |
佐久間 信実(さくま のぶざね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、江戸幕府旗本。佐久間信盛の三男で、兄・信栄の養子となった。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに東軍で従軍。慶長9年(1604年)、上総国茨葉村の内に1000石を与えられた。
元和6年(1620年)、兄に先立って48歳で没した。