佐久間信房
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 慶安3年(1650年) |
死没 | 享保7年10月15日(1722年11月23日) |
別名 | 通称:一左衛門、左門、小左衛門 |
戒名 | 宗覚 |
墓所 | 東京都新宿区四谷の全勝寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間信俊、母:川勝丹波守広綱の娘 |
兄弟 | 信継、信房 |
妻 |
正室:渥美九郎兵衛友勝の娘 継室:渡辺吉左衛門恒の娘 |
子 |
信精、渡辺続、房元、信仍、信包、信秋、 安右衛門 |
寛文7年(1667年)12月14日、将軍・家綱に拝謁。寛文12年(1672年)5月26日、御書院番に列せられる。貞享元年(1684年)12月16日、家督(武蔵国児玉郡、横見郡の内1000石)を相続。
元禄元年(1688年)3月28日から進物番に就く。元禄6年(1693年)5月11日、筑前国と肥前国の間で争いになっていた土地の検分に派遣された。元禄7年(1694年)4月14日、目付に任ぜられ、同年12月18日、布衣を許された。元禄10年(1697年)5月11日、駿府町奉行に転任、元禄13年(1700年)4月25日に職を辞して寄合に列した。
宝永元年(1704年)10月9日、御先弓頭となる。宝永3年(1706年)11月26日から西の丸に出仕となり、宝永6年(1709年)に本丸に復帰。正徳元年(1711年)5月25日、盗賊追捕役を命ぜられ、正徳3年(1713年)8月29日まで勤めた。享保5年(1720年)1月11日、御槍奉行となる。
享保7年(1722年)10月15日死去。享年73。