佐久間勝種
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佐久間 勝種(さくま かつたね、生没年不詳)は、江戸時代の人物。佐久間氏の一族。信濃長沼藩主佐久間勝之の3男。通称は源四郎。子の佐久間盛遠は、甥の佐久間勝興の養子になっている。 慶安3年(1650年)閏10月9日、将軍徳川家光が浅草へ鷹狩りに赴く途上で駕籠訴を行い、出仕を願った。[1]これが許され、同月14日、御書院番に列せられ蔵米300俵を賜る。
天和2年(1682年)8月11日、番頭組頭からの訴えにより取り調べを受け、牧野教成にお預けとなり、21日に遠流となった。
脚注
[編集]- ^ 「史料稿本」東京大学史料編纂所 慶安3年閏10月9日条
出典
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第533」
参考文献
[編集]- いいづな歴史ふれあい館特別展図録『飯綱の地をひらいた“殿様”‐佐久間兄弟と長沼藩・飯山藩』2015年