佐枝義重
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佐枝 義重 | |
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生誕 |
1885年1月26日 日本 愛知県 |
死没 | 1946年3月16日(61歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1905年 - 1936年 1938年 - 1940年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
佐枝 義重(さえだ よししげ、1885年(明治18年)1月26日[1] - 1946年(昭和21年)3月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]。
経歴
[編集]1885年(明治18年)に愛知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第17期、陸軍大学校第25期卒業[3]。1928年(昭和3年)8月10日、陸軍歩兵大佐進級と同時に留守第3師団参謀長に着任[2]。1929年(昭和4年)5月31日に第3師団司令部附となり[2]、8月1日に歩兵第74連隊長に就任し[2]、1931年(昭和6年)8月に歩兵第34連隊長に転じた[2]。
1933年(昭和8年)8月1日、陸軍少将進級と同時に歩兵第4旅団長に着任[1]。1934年(昭和9年)8月に熊本陸軍教導学校長に転じ[1]、1935年(昭和10年)12月に朝鮮軍参謀長に就任し[1]、1936年(昭和11年)12月1日に待命[2]、12月3日に予備役に編入された[1]。1938年(昭和13年)11月9日に召集され、武漢作戦終了後の歩兵第102旅団長(第11軍・第101師団)に着任[3]。南昌攻略戦では修水渡河作戦で戦果を挙げ[3]、贛湘作戦にも参加し[3]、1940年(昭和15年)2月に復員し[3]、8月1日に陸軍中将進級と同時に召集解除となった[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。