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佐枝義重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐枝 義重
生誕 1885年1月26日
日本の旗 日本 愛知県
死没 (1946-03-16) 1946年3月16日(61歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1905年 - 1936年
1938年 - 1940年
最終階級 陸軍中将
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佐枝 義重(さえだ よししげ、1885年明治18年)1月26日[1] - 1946年昭和21年)3月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]

経歴

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1885年(明治18年)に愛知県で生まれた[1]陸軍士官学校第17期、陸軍大学校第25期卒業[3]1928年(昭和3年)8月10日陸軍歩兵大佐進級と同時に留守第3師団参謀長に着任[2]1929年(昭和4年)5月31日第3師団司令部附となり[2]8月1日歩兵第74連隊長に就任し[2]1931年(昭和6年)8月に歩兵第34連隊長に転じた[2]

1933年(昭和8年)8月1日、陸軍少将進級と同時に歩兵第4旅団長に着任[1]1934年(昭和9年)8月に熊本陸軍教導学校長に転じ[1]1935年(昭和10年)12月に朝鮮軍参謀長に就任し[1]1936年(昭和11年)12月1日に待命[2]12月3日予備役に編入された[1]1938年(昭和13年)11月9日に召集され、武漢作戦終了後の歩兵第102旅団長(第11軍第101師団)に着任[3]南昌攻略戦では修水渡河作戦で戦果を挙げ[3]、贛湘作戦にも参加し[3]1940年(昭和15年)2月に復員し[3]8月1日に陸軍中将進級と同時に召集解除となった[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 327頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 220頁.
  3. ^ a b c d e 福川 2001, 328頁.

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026