佐藤勝久
さとう かつひさ 佐藤 勝久 | |
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生誕 |
1942年5月8日(82歳) 長野県諏訪市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 青山学院大学 |
職業 | タウンプロデューサー |
著名な実績 |
ラフォーレ原宿 六本木ヒルズ 表参道ヒルズ パレットタウン |
公式サイト |
sato-office |
佐藤 勝久(さとう かつひさ、1942年 (昭和17年) 5月8日 - )は、日本のタウンプロデューサー。株式会社佐藤勝久事務所代表[1]。
来歴
[編集]長野県諏訪市に生まれ、高校卒業まで過ごす。長野県諏訪清陵高等学校を経て、青山学院大学経済学部を卒業した。[要出典]1965年に森ビルに入社する[2]。
1977年、森ビル観光株式会社(現・森トラスト・ホテルズ&リゾーツ)で、森章が事業化したラフォーレ修善寺の常務取締役兼総支配人に就任して、事業再建に従事した[要出典]。
1979年、ラフォーレ原宿館長に就任する。前年にオープンしたラフォーレ原宿は、佐藤の館長就任後に周辺のマンションの部屋で服を制作していた「マンションメーカー」と呼ばれる独立系ブランドを導入して地域のアパレル業界に「大きな変化」をもたらしたとされる[3][4]。佐藤は「いつも何かを提案している街=原宿の魅力」ととらえていたという[3]。館長在職中には、原宿神宮前商店会会長となり、[要出典]街の活性化を図るべく商店街組合と連携して表参道イルミネーションを開催した[5]。
このあとアークヒルズプロジェクト(1983年)、六本木ヒルズプロジェクト(1986年)にそれぞれ携わり、1994年にはラフォーレ原宿常務取締役(兼)森ビル流通システム株式会社常務取締役に就任した[要出典]。
1996年からは[要出典]ビーナスフォート大型プロジェクトに従事した[2][6]。
1997年には、エルファクトリー代表取締役兼任デザイナーに就任し、インキュベートビジネスを開始した。同年、ビル都市企画専務取締役に就任した。1998年からは表参道ヒルズプロジェクトに従事した。[要出典]
2000年に 森ビルを退職する[要出典]。退職後は株式会社佐藤勝久事務所代表取締役となる[1]。
実績
[編集]- JR岐阜駅 ワールドデザインシティ・ギフ (アクティブG)・プロデュース(森ビル都市企画)
- 松山・新潟・小倉ラフォーレ・プロデュース(森ビル流通システム)
- ファッションタウン原宿・プロデュース(ラフォーレ原宿)
- ファッションデザイナーインキュベーション(エルファクトリー)
- お台場パレットタウンヴィーナスフォート・プロデュース(ヴィーナスフォート)
賞歴
[編集]- ミモザ賞(ファッション業界) - 1997年9月
参考文献
[編集]- ^ a b “ホーム”. 佐藤勝久事務所. 2022年6月18日閲覧。
- ^ a b “case003 佐藤勝久流の街づくり”. 21世紀、草創期のWebマーケティング事例集(パルスク研究所) (2000年3月16日). 2022年6月18日閲覧。 (佐藤の講演録)
- ^ a b 許伸江「東京都原宿地域のアパレル産業集積と中小企業の役割」(PDF)『企業環境研究年報』第14号、中小企業家同友会全国協議会企業環境研究センター、2009年12月、115-132頁、2022年6月18日閲覧。 佐藤のコメントは脚注34(p.131)にある。
- ^ “ヤングマインドで30周年-ラフォーレ原宿 進化する「先端ファッション基地」のすべて”. シブヤ経済新聞. (2008年8月29日) 2022年6月18日閲覧。
- ^ “ラフォーレ原宿社長/表参道ヒルズ初代館長が明かす「街の名物」たちの誕生秘話 ラフォーレ原宿社長・荒川信雄|表参道&原宿のメディア - OMOHARAREAL”. OMOHARAREAL (2020年11月20日). 2022年6月18日閲覧。
- ^ “憧れだったヴィーナスフォート”. モーニングダイジェスト(WWDJAPAN) (2022年3月24日). 2022年6月18日閲覧。