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佐藤安之助

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佐藤安之助

佐藤 安之助(さとう やすのすけ、明治4年1月21日1871年3月11日[1] - 昭和19年(1944年3月14日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少将衆議院議員

経歴

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東京府東京市平民高橋正兵衛の四男として生まれ、佐藤喜兵衛の養子となった[1]1895年(明治28年)、陸軍士官学校を卒業して、歩兵少尉に任官された[1]日清戦争従軍中に片足を失っている[2]関東都督府陸軍部附として南満州鉄道株式会社奉天公所長事務取扱を命じられ[1]、さらにスイス公使館附武官・スイス駐在員取締に転じた[1]。またパリ講和会議全権随員を務めた[3]1919年(大正8年)、陸軍少将に昇進し、参謀本部附、教育総監部附、陸軍技術会議議員を歴任した[4]1922年(大正11年)4月1日に依願退役となる[5]

1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。墓所は雑司ヶ谷霊園

五百木瓢亭新海非風らに刺激を受けて俳句を詠むようになり、正岡子規に師事した。号に肋骨、隻脚庵主人、低囊がある[2]

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

著書

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  • 『満蒙問題を中心とする日支関係 - 共存共栄か?共亡共枯か?』(日本評論社、1931年)

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録』第5版
  2. ^ a b 佐藤 肋骨』 - コトバンク
  3. ^ 『衆議院要覧』
  4. ^ 『人事興信録』第6版
  5. ^ 『官報』第2898号、大正11年4月4日。
  6. ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
  7. ^ 『官報』第4341号「叙任及辞令」1897年12月18日。
  8. ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
  9. ^ 「関東都督府民政長官中村是公外四名外国勲章記章受領及佩用ノ件」国立公文書館、勲00252100。

関連項目

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参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 『衆議院要覧(乙)昭和三年』衆議院事務局、1928年。