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佐藤晃一 (グラフィックデザイナー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐藤 晃一(さとう こういち、1944年8月9日[1] - 2016年5月24日[2])は、日本のグラフィックデザイナー群馬県高崎市出身。多摩美術大学名誉教授。弟はアメリカ文学者の佐藤良明[3]

経歴

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  • 群馬県立高崎高等学校卒業。
  • 1969年、東京芸術大学工芸科ビジュアルデザイン専攻を卒業。同期に河村要介がいる。資生堂に入社。
  • 1970年、入社1年目にして毎日広告デザイン賞特選を受賞。
  • 1971年、資生堂を退社して独立する
  • 1982-87年、東京芸術大学非常勤講師
  • 1985年、 東京ADC最高賞
  • 1988年、ニューヨーク近代美術館のポスターコンペで1席に選ばれる
  • 1991年、毎日デザイン賞を受賞
  • 1995年、多摩美術大学教授に就任
  • 1997年、芸術選奨新人賞(美術部門)を受賞
  • 2014年、多摩美術大学退職記念 佐藤晃一展(多摩美術大学美術館)開催。
  • 2015年、多摩美術大学教授を退任、名誉教授。
  • 2016年5月24日、肺炎のため死去。71歳没。[4]
  • 2016年10月、『アイデア』375号で特集「佐藤晃一の自由研究」[5]
  • 2017年、高崎市美術館で『グラフィックデザイナー 佐藤晃一展』開催。

主な著作・作品集

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  • 「KOICHI SATO」(六耀社/1990)
  • 「佐藤晃一」(世界のグラフィックデザイン13)(ギンザ・グラフィック・ギャラリー/1994)
  • 「KOICHI SATO」(中国青年出版社/1997)
  • 「Sato Koichi 新世代平面作家 佐藤晃一的設計世界」(湖北美術出版社/1999)
  • 「SEVEN」(グラフィック社/1985)※共著
  • 「佐藤晃一のYES EYE SEE 1982-83」(DNP文化振興財団/2011)[6]
  • 「学生たちに書き残す本」(高崎市美術館/2017)[7]

脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ “訃報 佐藤晃一さん71歳=グラフィックデザイナー”. 毎日新聞. (2016年5月26日). https://mainichi.jp/articles/20160526/k00/00m/040/158000c 2016年5月26日閲覧。 
  3. ^ 佐藤晃一の精神と自然(文=佐藤良明)『アイデア』2016年10月
  4. ^ 佐藤晃一さん死去:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年9月3日閲覧。
  5. ^ 誠文堂新光社 (2016年9月5日). “アイデア No.375”. Idea. 2019年9月3日閲覧。
  6. ^ 本書は1982年〜83年の間、ミュージック・マガジン誌上で執筆された24篇のエッセイと図版が、ギンザ・グラフィック・ギャラリーでの企画展「佐藤晃一ポスター」開催をきっかけにおよそ30年ぶりに書籍(小冊子)化され、刊行されたものである。 2019年現在、国立国会図書館などへの収蔵はされていない。 http://www.dnp.co.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000550
  7. ^ 高崎市美術館「グラフィックデザイナー 佐藤晃一展」に際して制作された小冊子。企画・編集・デザインは佐藤晃一デザイン室元アシスタントの村松丈彦とゑ藤隆弘。佐藤晃一本人による手書きのメモ、草稿がほぼそのまままとめられている。 多摩美術大学図書館に蔵書あり。 https://muramatsu-takehiko.com/post/165775573328/koichi-book