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佐藤 飽斎(さとう ほうさい、天明元年(1781年) - 文久2年6月30日(1862年7月26日)は、江戸時代後期の儒学者、教育者。名は利粋。通称は勘太夫。飽斎はその号[1]。
福岡藩の藩校修猷館の見習を経て、文化9年(1812年)訓導となる[1]。
文政9年(1826年)奥頭取に進み[1]、天保14年(1843年)采地を賜り、陸士頭となる[2]。
文久2年(1862年)死去。福岡市の盛福寺に葬られる[2]。
- ^ a b c 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)873頁
- ^ a b 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)28頁