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佐賀替え玉保険金殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐賀替え玉保険金殺人事件(さがかえだまほけんきんさつじんじけん)は、1981年昭和56年)1月22日に発生した保険金殺人事件。

概要

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1981年(昭和56年)1月22日、佐賀県唐津市星賀漁港にて、釣り人が水没している自動車を発見し、警察に通報した。引き上げられた車の中からは男性の遺体が発見されたが、顔が判別不能なほどに殴打されていた。そのため、当初、自動車事故に偽装して水産会社社長が殺害されたとみられ捜査が開始したものの、それは犯人一味である妻と愛人の遺体確認を佐賀県警察が鵜呑みにしていたことによる誤解であり、指紋照合も怠っていた。

水産会社社長は起業したものの、事件の数年前に事業の拡大に失敗し、闇金融から約3億円の借金を抱えていた。社長には4億1500万円の生命保険金が掛けられていた。そのため、暴力団員による襲撃説も疑われた。

また、その後、従業員として同社へ雇い入れられた愛人の蒸発した夫が疑われたが、これもまた犯人一味である愛人の説明を警察が信じたことによる誤解であった。社長は、愛人にも借金を行っていた。

実際に海岸で殺されたのは競艇場でたまたま社長に目をつけられた、年齢や背格好が似た無関係な男性だった。社長は男性に酒を大量に飲ませ、酩酊状態に陥っていたところを漁港まで誘拐し、金属バットでめった撃ちにして殺害。男性の服の中に社長の名刺を忍ばせ、自動車の運転席に乗せた上で、妻の弟が借りたレンタカーで後ろから追突させ、海中に転落させた。岸壁にはレンタカーのテールランプの破片が落ちていたこと、遺体の身元確認に向かう際に妻と愛人が乗っていたタクシーの運転手が、他にも男が1人乗っていたことを証言したことを不審であるとして刑事が追及すると、愛人は7年前に失踪した夫の仕業であると自供。しかし、これもまた捜査を撹乱するための嘘で、この男こそが社長本人だった。

全ての筋書きは、真犯人である社長本人が計画したものであり、当人は妻及び愛人逮捕の数日後に山陽本線新下関駅飛び込み自殺した。この時残されていた遺書により、ようやく事件の全貌が判明した。

参考文献

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  • 毎日新聞、1981年1月23日夕刊8ページ社会面「転落車の中に社長の遺体 殺害?首絞めた跡 佐賀の海岸」
  • 毎日新聞、1981年1月24日夕刊7ページ社会面「偽装殺人と断定・乗用車の転落死」
  • 毎日新聞、1981年1月27日夕刊7ページ社会面「首謀者は妻だった 佐賀の社長殺し」「現場に同行の女元社員が告白」「殺し屋雇い事故偽装」「2億円借金 保険で清算狙う」「社長の血が私の手に・・・生々しく犯行模様」
  • 毎日新聞、1981年1月28日19ページ社会面「提案したのは私の夫」「佐賀の社長殺し」「元女子従業員が自供」「保険金狙い凶行手伝う」
  • 毎日新聞、1981年1月28日夕刊9ページ社会面「海底から犯行車」「佐賀の社長殺し 中村の夫の行方追う」
  • 毎日新聞、1981年1月29日19ページ社会面「”凶悪の筋書„どんでん返し」「保険金狙い酒井、ついに自滅」「脱サラの野心、転落」「派手好き強引事業で借金苦」「妻と愛人の演技もしたたか」「ラジオで刻々情報観念して自殺か」「甘い捜査 振り回された警察」「「なぜ主人が、父が」涙の森下さん家族」「幕切れもショック」「豊子の涙、大ウソだったとは」
  • 毎日新聞、1981年1月29日夕刊13ページ社会面「「見知らぬ男殺した」 替え玉殺人、酒井が遺書 清美を本格取り調べ」

取り扱ったマスメディア

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関連項目

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