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佐野城 (和泉国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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佐野城
大阪府
築城主 楠木正儀織田信長
築城年 正平6年(1351年)、天正4年(1576年)以前
主な城主 楠木正儀、織田信張
廃城年 不明
遺構 なし
位置 北緯34度24分51.7秒 東経135度19分16.7秒 / 北緯34.414361度 東経135.321306度 / 34.414361; 135.321306座標: 北緯34度24分51.7秒 東経135度19分16.7秒 / 北緯34.414361度 東経135.321306度 / 34.414361; 135.321306
地図
佐野城の位置(大阪府内)
佐野城
佐野城
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佐野城(さのじょう)は、和泉国日根郡佐野荘(大阪府泉佐野市)にあった日本の城[1]。正確な所在地は不明で[2]、一説には現在の旭町付近にあったという[3][4]

沿革

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南北朝時代楠木正儀の城として佐野城の名が現れる[2]正平6年(1351年)9月、楠木正儀が佐野城を築いて和泉国で北朝方と戦っており[2]、佐野城の陣固めに淡輪助重が加わっている[5]

安土桃山時代になると、織田信長により佐野城が築かれた[2]。通説では天正5年(1577年)の雑賀攻め後に築城されたとされるが、天正4年(1576年)に比定される織田信長朱印状[6]の宛先に「佐野在城衆」とあることなどから、その時点で築かれていたことがわかる[7]。信長の一族である織田信張も天正4年7月には佐野城に入城していたとみられ[8]、和泉の国人土豪たちが仕官を求め、佐野の国人の多賀氏に信張への取次を依頼している(「板原家文書」)[9]

雑賀攻め後の天正5年(1577年)3月[2]、織田信張と根来寺杉坊(照算[10])が佐野城の定番とされ、雑賀衆ら紀州勢力への押さえの役を務めた[11]。天正9年(1581年)2月の京都での馬揃えの際には、杉坊が佐野在城衆(「佐野一統者共」)を連れてくる手筈となっていた[12]

佐野城は、和泉守護代だった松浦氏旧臣の寺田生家松浦家兄弟や沼間任世[注釈 1]の在城する岸和田城綾井城と共に織田政権による和泉支配を担ってきたが、天正9年(1581年)7月頃に織田信張が岸和田城に入城すると、以後、岸和田城が中央政権の拠点城郭に位置付けられることとなる[14]

この後、佐野村の「新城」に籠もる根来僧が鷺森本願寺への参詣者を妨害したり(『並河記録』)[3][15]、天正10年(1582年)9月に本願寺が根来寺に参詣者の安全確保への協力を要請するも、佐野城の足軽衆が同心しないという旨が伝えられるなどしており(『天正日記』)、天正11年(1583年)7月に本願寺の顕如教如らが鷺森から貝塚に移っている[15]。この根来僧の佐野城は、天正13年(1585年)3月の豊臣秀吉による紀州攻めの際に、守兵が退散して落城したという[16]

脚注

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注釈

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  1. ^ 山中 (2008, p. 55) は寺田兄弟のみ松浦氏旧臣としているが、沼間任世も松浦氏の家臣だったとの指摘がある[13]

出典

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  1. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年、543–544頁。全国書誌番号:83052043 
  2. ^ a b c d e 大阪府学務部 編『大阪府史蹟名勝天然記念物 第四冊』大阪府学務部、1929年、202–203頁。全国書誌番号:46086886https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1119859/119 
  3. ^ a b 平井聖; 村井益男; 村田修三 編『日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫』新人物往来社、1981年、235頁。全国書誌番号:81020173 
  4. ^ 佐野城跡」『日本歴史地名大系』https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%9F%8E%E8%B7%A1コトバンクより2024年4月27日閲覧 
  5. ^ 大阪府史編集専門委員会 編『大阪府史 第4巻 中世編II』大阪府、1981年、178頁。全国書誌番号:81034840 
  6. ^ (天正4年)7月9日付織田信長朱印状。
  7. ^ 平井 2011, pp. 88, 91.
  8. ^ 平井 2011, pp. 91–92.
  9. ^ 山中 2008, p. 56; 平井 2011, pp. 91–92.
  10. ^ 廣田浩治 著「杉坊明算・照算―軍事を担った根来寺の院家」、天野忠幸 編『戦国武将列伝7 畿内編 上』戎光祥出版、2022年、366頁。ISBN 978-4-86403-446-3 
  11. ^ 山中 2008, pp. 55–56; 平井 2011, p. 92.
  12. ^ 平井 2011, p. 104.
  13. ^ 嶋中佳輝「織田信長と和泉松浦氏の動向」『十六世紀史論叢』第16号、1–27頁、2022年。CRID 1520855656168082048 
  14. ^ 山中 2008, pp. 53–57.
  15. ^ a b 高石市史編纂会 編『高石市史 第1巻 本文編』高石市、1989年、552頁。全国書誌番号:90013986 
  16. ^ 和歌山市史編纂委員会 編『和歌山市史 第1巻 自然・原始・古代・中世』和歌山市、1991年、1026頁。全国書誌番号:92017003 

参考文献

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  • 平井上総 著「織田権力の和泉支配」、戦国史研究会 編『織田権力の領域支配』岩田書院、2011年、85–122頁。ISBN 978-4-87294-680-2 
  • 山中吾朗 著「戦国期和泉の地域権力と岸和田城」、大澤研一; 仁木宏 編『岸和田古城から城下町へ―中世・近世の岸和田―』和泉書院〈上方文庫 34〉、2008年、37–64頁。ISBN 978-4-7576-0481-0