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佐野昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田清輝による肖像画

佐野 昭(さの あきら、1866年慶応2年) - 1955年昭和30年))は、明治から昭和期にかけて活躍した日本の彫刻家パリ万国博覧会では臨時博覧会監査員をつとめた。江戸出身[1]。装飾彫刻の制作にも従事。皇居御造営事務局雇となり、同局廃局後も内匠寮にとどまる。 明治28年に内匠寮技手となり、明治32年から東宮御所御造営局技手となった。 明治37年に退官したが、その後も御用掛として室内装飾関係業務に従事した。

代表作に「三条橋雨景」や「虎狩」、「可美真手命像」(浜離宮恩賜庭園内)などがある[2]

経歴・人物

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1882年(明治15年)工部美術学校卒業[3]。工部美術学校ではイタリア人彫刻家のラグーザに師事。

同校卒業後は彫刻家として明治美術会展などで作品を発表。そして、洋画家黒田清輝久米桂一郎ら新進芸術家と交遊。

1896年(明治29年)に白馬会を創立。以降は同会展で活躍[4]

そのほか第六師団戦勝記念碑や赤坂離宮などの装飾彫刻なども手がけた[5]

1899年(明治32年)パリ万国博覧会の開催に際し、臨時博覧会監査員に就任[6]

1900年(明治33年)彫刻取調、暖炉前飾り購入などの目的でヨーロッパへ出張[3]。黒田や久米らと西欧各国を歴訪[7]。 帰国後新帝国議事堂(国会議事堂)の建設時は、模型担当として活躍[3]

浜離宮庭園可美真手命
可美真手命像の説明文

出典

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  1. ^ ザ・AZABU - 港区広報誌 (PDF)
  2. ^ 吉田朝子「佐野昭の彫刻:白馬会の彫刻をめぐって」『近代画説 : 明治美術学会誌』第18号、明治美術学会、2009年、94-112頁、CRID 1520853833494308096ISSN 13437445 
  3. ^ a b c 『皇室建築 内匠寮の人と作品』422-423頁。
  4. ^ 瀬谷裕美「明治期における石膏像素描教育 : 工部美術学校と東京美術学校を中心に」『美術教育学:美術科教育学会誌』第32巻、美術科教育学会、2011年、229-241頁、CRID 1390001205838998400doi:10.24455/aaej.32.0_229ISSN 0917771X 
  5. ^ 小沢朝江「9072 明治宮殿造営組織における図工の採用状況と堂宮大工の参加経緯 : 相模国大山大工・手中家の日記から(日本近代:作家論(3),建築歴史・意匠,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会)」『建築歴史・意匠』第2012号、日本建築学会、2012年9月、143-144頁、CRID 1573950402669221376ISSN 18839363  (Paid subscription required要購読契約)
  6. ^ 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について
  7. ^ 上野弘道「ドイツ近代彫刻の日本における評価 ―Die nicht gewubfer deutsch Bildhauer」『長崎大学教育学部人文科学研究報告』第27巻、長崎大学教育学部、1978年3月、123-134頁、CRID 1050005822263403776hdl:10069/32595ISSN 03882772 

参考文献

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