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侍島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

侍島(さむらいじま / しとう)は、現在福岡県筑紫野市下見の付近を示す地名

南北朝時代から戦国時代筑前国御笠郡(三笠郡)中の太宰府天満宮領「侍島荘(しとうのしょう)」の荘園名に見られる。 戦国時代には侍島村とも呼ばれ、永正14年3月26日(1517年4月26日)の文書では「侍島」と「志田美」の地名がともに用いられている。永禄年間には「士島」と書かれた例もある[1]

永禄2年4月2日(1559年5月18日)にはここ筑前国侍島で、大友義鎮筑紫惟門を攻めさせた侍島合戦(侍島の合戦[2])があり、筑紫氏が大勝している[3][4]

また筑前国御笠郡の侍島とは別に、筑後国三潴郡にも戦国時代から現代まで「侍島」の地名が存在し、これは現在の福岡県三潴郡大木町侍島に当たる[5]

脚注・出典

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  1. ^ 角川日本地名大辞典 40 福岡県』644頁 (平成3年(1991年)9月10日発行 編者:竹内理三 発行所:角川書店)
  2. ^ 『広報ちくしの 2009年3月15日 No.889』1頁 市民歴史ゼミナール「侍島の合戦」
  3. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『史料綜覧 巻十』472頁「永禄2年4月2日(1559年5月18日)」 (昭和13年(1938年)9月15日発行 編纂者:東京帝國大學文學部史料編纂所 発行所:財団法人内閣印刷局朝陽會)
  4. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『國史叢書 北肥戦誌 一』「筑前國侍島軍の事」336~337頁 (大正7年(1918年)3月11日発行 編:矢野太郎 編輯者・発行者・発行所:國史研究會)
  5. ^ 『角川日本地名大辞典 40 福岡県』620頁 (平成3年(1991年)9月10日発行 編者:竹内理三 発行所:角川書店)