保科正富
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保17年5月15日(1732年6月7日) |
死没 | 寛政9年12月10日(1798年1月26日) |
改名 | 直治郎・直次郎(幼名)、正富→正宜 |
諡号 | 桂山 |
戒名 | 高勝院殿義雄桂山大居士 |
墓所 | 東京都杉並区和泉の大円寺 |
官位 | 従五位下越前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 上総飯野藩主 |
氏族 | 保科氏 |
父母 | 父:保科正寿、母:津軽信寿娘・於染 |
兄弟 | 保科清光院、正富 |
妻 | 正室:永井直期娘・於喜井 |
子 | 正率、九鬼隆晁、大岡清定、黒田直儀、正温、阿部亀次郎室、松平親貞正室、武田信親正室 |
保科 正富(ほしな まさとみ)は、江戸時代中期の大名。上総国飯野藩6代藩主。官位は従五位下・越前守。
略歴
[編集]享保17年(1732年)5月15日、5代藩主・保科正寿の次男として生まれる。元文4年(1739年)、父が死去したため、家督を継いだ。これは長兄の清光院が将軍に御目見することなく延享元年(1744年)に死去したため、正富が身代わりとして藩主に擁立されたものともされている。
延享4年(1747年)12月に従五位下、越前守に叙位・任官する。寛延元年(1748年)に元服する。日光祭礼奉行を4回、大坂加番を3回ほど歴任した。明和7年(1770年)7月5日に長男の正率に家督を譲って隠居する。その後、正宜(まさよし)と改名した。安永7年(1778年)閏7月、桂山と号して剃髪する。
寛政9年(1797年)12月10日、江戸で死去した。享年66。
系譜
[編集]父母
正室
- 於喜井、華愕院 ー 永井直期の娘
子女