信国平助義直
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信国 平助 義直(のぶくに へいすけ よしなお、1827年(文政10年)- 1875年(明治8年)3月14日、戒名:鐡仙道肝居士[1])は刀工。信国派の筑前信国義昌(又左衛門)の子、または孫。瓦町(現祇園町)に住み冷泉津住信国義直と銘する鍔も有る、刀匠鍔の作者として有名。俗名平助、又左衛門。 筑前信国派吉政系最後の刀匠である。[1]。黒田藩工。
系譜
[編集]以下の諸説がある。
信国吉政系信国義昌(又左衛門 文政・天保(1829-30年頃))-信国義秀(平四郎 弘化(1844-46年))- 信国義直(平太郎 嘉永(1848-53年))
[2]注3[3](在世中に最も近い記述で、年代は没年でなく、在銘と思われる)。
信国吉政系信国義昌-信国義一(義秀同人:文久(1861-63年)の銘)-信国義直
(注2[2]を久野繁樹が再編成したもの)。
信国吉政系信国義昌(1853年(嘉永6年)11月9日没)-信国義直 └信国義秀(義一同人)
生涯
[編集]1863年(文久3年)信国吉忠、免許皆伝[5]。1864年(元治元年)には福岡藩工であった。
作品
[編集]- 脇指「筑前国源信国義直」裏「安政五年(1858年)二月日」彫:草の倶利伽羅、旗鉾(一尺余り、湾れ刃)(注3)[3]p.46
- 太刀「奉納筑前源信国義直作」裏「願成就文久三年(1863年)二月日」(大宰府天満宮蔵)
- 槍 「筑前源信国義直作」裏「文久三年八月日」(浦田重中所持、大宰府天満宮蔵)
- 刀 「筑前国官工源信国義直作」裏「元治元年(1864年)八月日」(二尺六寸余り、直刃)[3]p.46
- 刀 「筑前国官工源信国又左衛門義直作」裏「慶応元年(1865年)巳八月日」(二尺六寸三分、直刃)[3]p.46
- 短刀 「守刀筑前国源信国義直作 大賀惟和妹松 慶応二年二月吉日」 櫛田神社所蔵
- 短刀 「筑前国源信国義直」裏年記無し 鍛え肌は綾杉肌風(七寸八分互の目)(北九州市個人蔵)
脚注
[編集]- ^ a b 福岡市材木町安国寺過去帳
- ^ a b 盛岡朝尊『新刀銘集録』1857年(安政4年)出版を注3に掲載
- ^ a b c d 久野繁樹「筑前新刀の研究(一)」『刀剣美術』p.42
- ^ 常石英明『日本刀の研究と鑑定:新刀編』金園社1980.p.372
- ^ 「信国系図」(個人蔵)