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信正義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信正義雄

信正 義雄(のぶまさ よしお、1897年明治30年)8月23日[1] - 1985年昭和60年)12月2日[1][2])は、大正末から昭和期の弁護士政治家衆議院議員、滋賀弁護士会長、大津市会議長。

経歴

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奈良県出身[1][注 1]。1922年(大正11年)関西大学法科を卒業した[1][2][3][4]大阪府巡査となり警部補に昇進した[2]

1924年(大正13年)大阪市で弁護士を開業し、その後、大津市に転じた[3]。大津市会議員、同副議長、同議長、滋賀県会議員、同副議長、人事調停委員、商事調停委員、大政翼賛会滋賀県支部組織部長、滋賀県翼賛壮年団長、大津弁護士会長などを務めた[1][2][3]

1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け滋賀県全県区から出馬して当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、翼政会政調司法・内閣兼務委員などを務めた[4]。戦後、日本自由党に所属し[2]、その後、公職追放となった[5]

戦前から戦後にかけて、滋賀弁護士会長に通算6期在任した[1]

親族

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  • 妻 信正賎子(信正時次郎二女)[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』以外の文献は滋賀県出身としているが、妻が信正時次郎の二女であり、婿養子と思われる。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』476頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』495頁。
  3. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』滋賀9頁。
  4. ^ a b c 『翼賛議員銘鑑』314頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、444頁。公職追放の該当事項は「翼壮県支部団長事務局部長推薦議員」。

参考文献

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  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。