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修行人宿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

修行人宿[1][2][3](しゅぎょうにんやど)とは、近世期江戸時代において、諸国を廻る武者修行者(近世当時は「修行人」と呼ばれていた[4])を受け入れるために各が定めた指定旅籠屋をいう[5]城下町ごとに呼ばれ方は異なり、「修行宿」、「修行人定宿」などとも呼ばれており[6]、この他の表記として、牟田高惇が残した『諸国廻歴日録』においては、「執行[7]人宿」、「執行人宿」とも記述している。

成立された社会的経緯と整備

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近世前半まで日本の多くの武術流派は他流試合を禁じていたが、新流派の台頭(流名宣伝のため、盛んに他流試合を行う)にともない、文政年間頃から他流試合が積極的に行われる社会風潮が武家社会に起こり[8]天保年間末頃になると、ほとんどの道場・流派で他流試合が解禁となった[9]

これにともない諸藩の修行人が各国の藩校道場や町道場を訪ね、往来が増加するにつれ、武者修行の手続きや仕組みも整えられていった[10]

諸藩は修行人に手当てを支給していたが、財政上の問題からできうる限り、人数をしぼりたい思惑があったので、実績者に対してのみの許可制になっていた[11]。藩士に対して旅費は出していたが、交際費までは出さなかったため、修行人の自己負担は大きかった[12]。修行人として許可がおりると藩から手札が渡される[13]。この手札を示さない限り、藩校道場は修行人を受け入れない仕組みとなっていた[14]

前もって藩の役人は飛脚江戸の藩邸に送り、修行人が訪ねる予定の藩校を知らせる[15]。これを受けた江戸藩邸では留守居役が各藩の留守居役に連絡し、さらに国許の藩校道場に連絡がいった[16]。例として、

「○月の半ば頃、佐賀藩の牟田文之助という鉄人流の修行人がいく」

といった風に、ネットワークが構築され、通じていたため、武者修行者が来る事は知らされていたのである。

また、修行人にとっては国許の手紙の受け渡しなどの利便性から城下町の修行人宿にたどりつくまでは、藩指定の定宿に泊まった方が何かと都合がよかった[17]

なお、修行人宿は現地の藩が宿泊費も食事代も負担していたので、修行人にとっては無料同然であった[18]。場合によっては当地の藩からや料理を送られる事もあり[19]、藩の手札を有した武者修行者は優遇されていたといってもよい。というのも、当時の旅行業界にとって、諸国武者修行者の存在は大きく、年間を通じて大事な顧客であったため、諸藩もないがしろにできない事情があったためである[20]。ただし、修行人を装って、宿代を払わない武士の横行にも警戒はあった[21]

脚注

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  1. ^ 朝日新聞出版 最新刊行物:選書:剣術修行の旅日記”. 朝日新聞出版. 2024年3月8日閲覧。
  2. ^ 三浦しをん (2018年6月18日). “「剣術修行の旅日記」書評 青春きらめく、藩士の「留学」”. 好書好日. 2024年3月8日閲覧。
  3. ^ 弁護士会の読書:剣術修行の旅日記”. 福岡県弁護士会 (2013年12月23日). 2024年3月8日閲覧。
  4. ^ 永井義男 『剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む』 p.15. 当『日録』など当時の武者修行者の日記による。
  5. ^ 永井義男 同2013年著 p.49
  6. ^ 同著 p.49 8行目、『日録』内で、それぞれ記述がある。
  7. ^ 読みは「しゅぎょう」で、「修行」と同意。参考・『広辞苑 第二版』 岩波書店 1969年
  8. ^ 参考・永井 2013年著 p.46
  9. ^ 永井 2013年著 p.46 7行目、渡辺一郎編 『幕末関東剣術英名録の研究』 渡辺書店 p.13
  10. ^ 永井 2013年著 p.46 10行目
  11. ^ 永井 2013年著 p.47
  12. ^ 永井 2013年著 p.47 7行から8行目
  13. ^ 永井 2013年著 p.47 10行目
  14. ^ 永井 2013年著 p.47 11行目
  15. ^ 永井 2013年著 p.47 12行目
  16. ^ 永井 2013年著 p.47 13から14行目
  17. ^ 永井同著 p.49
  18. ^ 永井同著 p.49 11行目、今野信雄 『江戸の旅』 岩波書店 p.109、『日録』の記述からも、城下町の指定宿では宿代を記していないが、着くまでの宿場の宿では几帳面に全て宿代を記している事からもわかる(『日録』から例外も記述がある)。
  19. ^ 永井同著 p.50
  20. ^ 永井同著 p.52 3から4行目参考。
  21. ^ 永井同著 p.53

参考文献

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関連項目

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