コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

倉富鈞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
倉富鈞
くらとみ ひとし
生年月日 1885年2月28日
没年月日 (1977-04-05) 1977年4月5日(92歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学政治学科卒業
前職 農地開発営団理事
所属政党 公正会
称号 従四位
配偶者 倉富フヂ
親族 祖父・倉富胤厚(福岡県会議員)
父・倉富勇三郎(枢密院議長)
義父・荒井賢太郎(枢密院副議長)
伯父・倉富恒二郎(福岡県会議員)
娘婿・鈴木幹雄(衆議院議員)

在任期間 1941年9月6日 - 1947年5月2日
テンプレートを表示

倉富 鈞(くらとみ ひとし、1885年明治18年〉2月28日[1] - 1977年昭和52年〉4月5日[1][2])は、大正から昭和期実業家政治家華族貴族院男爵議員位階従四位[2]

経歴

[編集]

司法官僚倉富勇三郎の長男として生まれる[1][3]。父の隠居に伴い、1936年(昭和11年)6月1日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1][3][5]1928年(昭和3年)朝鮮銀行秘書課長兼国庫課長に就任[2]。その後、同検査役、産業組合中央金庫参事・貸付課長、同理事、農地開発営団理事などを務めた[2][3]

1941年(昭和16年)9月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。この間、鈴木貫太郎内閣司法参与官、司法省委員、経済関係罰則調査委員会委員、家事審判制度調査会委員、金融制度調査会委員などを務めた[2]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 上巻』552頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』ク53頁。
  4. ^ 『官報』第2823号、昭和11年6月2日。
  5. ^ 『東京帝国大学一覧 明治43-44年』東京帝国大学、1911年、学士及卒業生姓名109頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
  7. ^ 『官報』第4403号、昭和16年9月9日。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
倉富勇三郎
男爵
倉富(勇三郎)家第2代
1936年 - 1947年
次代
華族制度廃止