倉敷海軍航空隊
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倉敷海軍航空隊(くらしきかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。4500人もの志願者を募った予科練乙飛第22期の生徒を教育するため、最後に新設された予科練教育航空隊である。緊急に開隊するために農地・集落を収用し、3ヶ月で兵舎・教育施設の落成に漕ぎつけた。
沿革
[編集]三重海軍航空隊から乙飛第21期500名・第22期500名転入
- 昭和20年2月1日 三重空から乙飛第23期800名が疎開転入。
- 昭和20年3月1日 19連空解散。呉鎮守府隷下第21連合航空隊に転籍。
- 昭和20年3月20日 乙飛第21期卒業(唯一の卒業生)
- 昭和20年6月1日 予科練教育凍結。水上・水中特攻訓練に教程変更。
- 昭和20年6月22日 水島空襲により、隣接する三菱重工業水島航空機製作所から類焼。
以後も重工を標的とする空襲により類焼被害多数。
- 昭和20年7月15日 21連空解散。呉鎮守府部隊に転籍。
- 終戦後武装解除。
空襲による物的被害は大きかったが、生徒・教官の犠牲者は少なかった。呉鎮守府が管轄する各部隊に振り分けられることになり、震洋・伏龍の訓練に明け暮れるうちに終戦を迎え、戦線投入には至らなかった。
主要機種
[編集]教育訓練部隊のため、航空機の配属はない。
歴代司令
[編集]- 藤村正亮:昭和19年11月1日 -
- 森本丞 予備少将:昭和20年7月10日 - 武装解除・解隊
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
- 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
- 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
- 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
- 『海軍飛行豫科練習生1』(国書刊行会 1983年)
- 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)