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倭文部可良麻呂
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
倭文部 可良麻呂
(しとりべ の からまろ、生没年不詳)は、
奈良時代
の
防人
。
経歴・人物
[
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]
常陸国
の人物。
天平勝宝
7歳(
755年
)2月、
防人
として
筑紫
に派遣された際詠んだ
長歌
が『
万葉集
』に1首入集
[1]
。
歌
[
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]
足柄の み坂たまはり 顧みず 我は越え行く 荒し男も 立しや憚る 不破の関 越えて我は行く 馬の蹄 筑紫の崎に 留居て 我は斎はむ 諸は 幸くと申す 帰り来まてに
[1]
脚注
[
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]
[
脚注の使い方
]
^
a
b
『万葉集』20巻-4372
カテゴリ
:
防人
万葉歌人
常陸国の人物
生没年不詳
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