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倭漢 福因(やまとのあや の ふくいん)とは、飛鳥時代の豪族。姓は直。遣隋留学生。
推古天皇16年(608年)第三次遣隋使に大使・小野妹子に従って、高向玄理・旻・南淵請安ら7名とともに留学生として同行し、隋へ渡った[1]。滞在は15年に及び、推古天皇31年(623年)新羅使の大使・智洗爾(ちせんに)に従い、薬師恵日と同行して唐より帰国し、ともに唐との通交について上申している[2]。
- ^ 『日本書紀』推古天皇16年9月11日条
- ^ 『日本書紀』推古天皇31年7月条