備前車塚古墳
備前車塚古墳 | |
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墳丘(左に前方部、右奥に後方部) | |
別名 | 湯迫車塚古墳 |
所在地 | 岡山県岡山市中区四御神・湯迫 |
位置 | 北緯34度42分6.00秒 東経133度58分33.60秒 / 北緯34.7016667度 東経133.9760000度座標: 北緯34度42分6.00秒 東経133度58分33.60秒 / 北緯34.7016667度 東経133.9760000度 |
形状 | 前方後方墳 |
規模 |
墳丘長48.3m 高さ3m(後方部) |
埋葬施設 | 竪穴式石室(内部に割竹形木棺) |
出土品 | 三角縁神獣鏡11面ほか副葬品多数 |
築造時期 | 古墳時代初期 |
被葬者 | (一説)大吉備津日子命 |
史跡 | なし |
地図 |
備前車塚古墳(びぜんくるまづかこふん、湯迫車塚古墳)は、岡山県岡山市中区四御神(しのごぜ)・湯迫(ゆば)にある古墳。形状は前方後方墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]岡山県南部、岡山市街地中心部から東方の龍ノ口山から伸びる尾根上に築造された古墳である[1]。これまで1956年(昭和31年)に石室が発見されて副葬品が出土し、1967・1968年(昭和42・43年)に岡山理科大学鎌木研究室(鎌木義昌ら)・岡山大学考古学研究室(近藤義郎ら)による発掘調査が実施されている[2]。
墳形は前方部がバチ形に開く前方後方形で、前方部を西方に向ける[3]。墳丘は2段築成[3]。墳丘外表で埴輪は認められていないが、角礫による列石状の葺石を明瞭に遺存する[1][2][3]。埋葬施設は後方部中央における竪穴式石室で、地山岩盤を掘り割って構築される[2]。石室主軸は墳丘主軸と直交し、長さ5.9メートル・幅1.2メートル・高さ約1.5メートルを測る[3]。石室の上面は天井石8枚で覆われ、内部の粘土床に割竹形木棺が据えられる[2]。この石室内からは三角縁神獣鏡11面を始めとする多数の副葬品が検出されている[3]。
この備前車塚古墳は、古墳時代初期頃の築造と推定される[1]。豊富な副葬品からは当時の勢力の大きさが示唆されるとともに、三角縁神獣鏡の同笵鏡論の基準資料としても重要視される古墳である[3]。なお被葬者は明らかでないが、『岡山市史』では『古事記』に見える吉備上道臣祖の大吉備津日子命に比定する説が挙げられている[4]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:48.3メートル
- 後方部 - 2段築成。
- 長さ:23メートル
- 高さ:3メートル
- 前方部 - バチ形に開く。2段築成。
- 長さ:21.8メートル
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後方部墳頂
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後方部葺石
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前方部から後方部を望む
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後方部から前方部を望む
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くびれ部
中央に後方部、右手前に前方部。画像下部から伸びる列石状葺石が後方部に直角に接続する。
出土品
[編集]1956年(昭和31年)の石室からの出土品は次の通り[2]。
- 銅鏡 13 - いずれも舶載鏡(中国製鏡)。
- 鉄製品
- 鉄刀 1
- 鉄剣 1
- 鉄鉾(槍か) 1
- 鉄鏃 7
- 鉄斧 1
- 短冊形鉄斧 1
また1967・1968年(昭和42・43年)の調査において、石室内から鉄鏃・鉄斧・鉄剣・鉄刀・鉄棒残片・鉇・靫などが、石室上面から土師器が検出されている[2]。現在では出土鏡は東京国立博物館で保管されている[5]。
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三角縁獣文帯五神四獣鏡(複製)
東京国立博物館展示。 -
三角縁陳氏作四神二獣鏡(複製)
東京国立博物館展示。 -
三角縁二神六獣鏡(複製)
東京国立博物館展示。
関連施設
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板
- 鎌木義昌「車塚古墳」『国史大辞典』吉川弘文館。
- 今井尭「車塚古墳 > 備前車塚古墳」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。
- 「車塚古墳」『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344。
- 小林三郎「車塚古墳 > 備前車塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 乗岡実・行田裕美『吉備の古墳 上 備前・美作(吉備考古ライブラリィ4)』吉備人出版、2000年、62-65頁。ISBN 490657744X。