元思誉
表示
元 思誉(げん しよ、生年不詳 - 507年頃)は、北魏の皇族。楽陵密王。もとの名は永全[1]。
経歴
[編集]汝陰王拓跋天賜の次男として生まれた。叔父の拓跋胡児の後を嗣ぎ、楽陵王に封じられた。後に思誉と改名した[2]。孝文帝の初年、柔然の侵攻を受けると、思誉は鎮北大将軍・北征大都将となって防戦を指揮した。後に使持節・鎮北大将軍・領護匈奴校尉・都督・中軍都将に任じられた。使持節・鎮東大将軍・和龍鎮都大将・営州刺史として出向し、領護東夷校尉を加えられた。鎮北将軍に転じ、鎮北大将軍を代行した。孝文帝に光極堂で引見を受けると、皇帝を補佐するよう命じられた。496年(太和20年)、穆泰らとともに陽平王元頤を帝位につける陰謀をたくらみ、発覚して官爵を削られて庶人とされた。499年(太和23年)、楽陵王の封をもどされた。507年(正始4年)[3]、死去した。光州刺史の位を追贈された。諡は密王といった。
子女
[編集]- 元景略
- 元慶略(散騎侍郎)
- 元洪略(恒農郡太守・中軍将軍・行東雍州刺史)
- 元子業(平原郡太守)