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元永本古今和歌集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
元永本古今和歌集上帖(仮名序部分)唐草文雲母刷り料紙
元永本古今和歌集上帖(仮名序部分)金銀の切箔、野毛、砂子散らしの料紙

元永本古今和歌集(げんえいぼんこきんわかしゅう)は、平安時代末期(12世紀)に書写された『古今和歌集』の古写本。仮名序および全20巻を完存する『古今和歌集』の写本としては、最古の遺品。綴葉装(列帖装)冊子本、上下二帖。平安時代後期、元永3年(1120年)頃に書写され、仮名書道の絶頂期における代表的古筆の一つ。伝称筆者源俊頼だが、書風から藤原定実を筆者とするのがほぼ定説である。国宝東京国立博物館蔵。

概要

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「元永本」の名称の由来は、上巻末尾に本文と同筆で「元永三年七月二十四日」の奥書があることによる。伝来は、江戸時代初期に加賀前田家で蔵され、中期には同家の家臣の手に渡ったらしい。明治に入ると三井家11家のうち室町家の所収に帰した。室町家当主・三井高大(たかひろ)が昭和44年(1969年)に死去した後、同人の遺志に基づき、その翌年に東京国立博物館に寄贈された[1]

料紙は5枚を一重ねとして、2つ折りにし、糸で綴じる。1面の寸法は21.1×15.5センチメートル。赤、緑、黄、茶、紫などの色変わりの染紙を料紙とし、表面は唐草、菱、七宝などの文様を雲母(きら)刷りにした唐紙で、裏面は金銀の切箔、野毛、砂子を散らす[2]

現状の元永本の本紙は、上巻191枚382頁分、下巻196枚392頁分だが、伝来過程で巻頭巻末部分は破損欠失したと見られ、本来は上下巻とも200枚の帖だったと推定される。しかし、平安時代当時の原装形態をほぼ完全に留めており、完本ゆえに全体像が明らかになる点で貴重である。巧妙な筆致と、華麗な料紙装飾とが表裏一体となってとけ合った、国文学書道史貴重な優品と言える。

脚注

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  1. ^ 「東京国立博物館陳列品収集の歩み」『MUSEUM』262、東京国立博物館、1973、p.34
  2. ^ 『週刊朝日百科』「日本の国宝」44号、朝日新聞社、1997、p1 - 122。解説執筆は島谷弘幸

参考文献

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外部リンク

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