元萇
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元 萇(げん ちょう、458年 - 515年)は、北魏の皇族。松滋侯。艾陵伯[1]。字は於巓。曾祖父の拓跋度は拓跋孤の孫にあたる。弟は元珍。従弟は元天穆。
経歴
[編集]松滋侯拓跋平(拓跋乙斤の子)の子として生まれた。468年(皇興2年)、松滋侯の爵位を嗣いだ。鎮遠将軍の号を受けた。488年(太和12年)、建威将軍・高柳郡太守に任じられた。まもなく輔国将軍に転じ、代尹をつとめた。492年(太和16年)、柔然に対する北伐がおこなわれると、元萇は本官のまま仮節・征虜将軍となり、西道の別将として北征した。493年(太和17年)、洛陽への遷都がはじまると、元萇は平城の留守をつとめた。後に持節・平北将軍・懐朔鎮都大将に転じた。497年(太和21年)、孝文帝が南征の軍を起こすと、元萇は前軍を率いて先鋒をつとめた。また高車に対する北伐や、奚に対する東征で、二道の都将をつとめた。
500年(景明元年)、営構太極都将となった。持節・鎮遠将軍・撫冥鎮都大将に転じた。持節・輔国将軍として南征に参加し、梁城や鍾離で戦った。太中大夫・兼太常卿・散騎常侍に転じた。新たに帰順した柔然を三州七鎮に住まわせ、宣武帝の命を受けて大使として北巡した。使持節・都督恒州諸軍事・征虜将軍・恒州刺史として出向した。後に北中郎将となり河内郡太守を兼ねた。永平年間、河南尹・河南邑中正をつとめた。使持節・散騎常侍・都督関西諸軍事・安西将軍・雍州刺史に転じた。515年(延昌4年)7月11日、死去した。侍中・鎮北大将軍・定州刺史の位を追贈された。享年は58。諡は成といった。