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元詮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

元 詮(げん せん、477年 - 512年)は、北魏皇族は搜賢[1]

経歴

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拓跋長楽の子として生まれた。安楽王の爵位を嗣ぎ、征西大将軍の位を加えられた。宣武帝の初年、冠軍将軍・涼州刺史となった。州において汚職に手を染め、贈収賄を横行させた。506年正始3年)、都督南討諸軍事・平南将軍として淮南に赴き、鍾離を包囲した(鍾離の戦い)。敗北して帰還すると、平北将軍・定州刺史に任じられた。508年永平元年)、京兆王元愉が反乱を起こして信都に逃れると、元詮は李平や高殖らとともに信都の四面を焼き討ちした。まもなく侍中の位を受け、尚書左僕射に任じられた。512年(永平5年)3月28日、死去した。享年36。尚書左僕射・安楽王のまま、使持節・驃騎将軍の位を追贈された。は武康といった。

子女

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伝記資料

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  • 魏書』巻20 列伝第8
  • 北史』巻19 列伝第7
  • 魏故使持節驃騎将軍尚書左僕射安楽王墓誌銘(元詮墓誌)

脚注

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  1. ^ 墓誌によると、字は休賢