光明寺 (大田区)
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光明寺 | |
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所在地 | 東京都大田区鵜の木1-23-10[1] |
位置 | 北緯35度34分25.0秒 東経139度41分03.4秒 / 北緯35.573611度 東経139.684278度座標: 北緯35度34分25.0秒 東経139度41分03.4秒 / 北緯35.573611度 東経139.684278度 |
山号 | 大金山[2] |
院号 | 宝幢院[2](ほうどういん) |
宗旨 | 浄土宗[2] ← 浄土宗西山派 ← 古義真言宗 ← 飛鳥・奈良仏教 |
宗派 | 浄土宗鎮西派 |
本尊 | 阿弥陀三尊[1] |
創建年 | 天平年間(729年 – 749年)[1] |
開山 | 行基[1] |
中興年 | 弘仁年間(810年 – 824年) |
中興 | 弘法大師空海 |
正式名 | 大金山寶幢院光明寺 |
札所等 |
玉川八十八ヶ所霊場88番札所 東海三十三観音霊場17番札所 武蔵不動尊22番札所 西山国師遺跡霊場2番札所 |
文化財 | 木造四天王立像(東京都指定文化財)[1] |
法人番号 | 6010805000139 |
光明寺(こうみょうじ)は、東京都大田区鵜の木にある浄土宗の寺院。
概要
[編集]天平年間(729年 – 749年)、行基によって開山された。その後弘仁年間(810年 – 824年)に弘法大師空海によって再興されて真言宗の寺院となり、「関東高野山」の異名をとった[3]。
ところが寛喜年間(1229年 – 1232年)になり浄土宗に転宗した。当寺の行観は、弘法大師の寺が消滅することを惜しみ、別に一寺(宝幢院)を設けて隠棲し、二世以降を真言宗の僧侶に譲ることにしたという。そういう経緯から、宝幢院と同じ院号・寺号「宝幢院光明寺」を持ち、当寺は「光明寺」を、もう片方の寺は「宝幢院」を通称とすることになった[3]。
1239年(延応元年)には、浄土宗西山派から浄土宗鎮西派に転属している[3]。
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本堂
交通アクセス
[編集]- 下丸子駅より徒歩5分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年
- 「鵜ノ木村 光明寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ44荏原郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763981/62。
- “新大田区百景 「光明寺」”. 大田区ホームページ (2017年6月8日). 2020年12月19日閲覧。
関連文献
[編集]- 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 大金山光明寺」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、421,423-428頁。NDLJP:1174130/216。
関連項目
[編集]- 宝幢院(大綱山光明寺寶幢院)