コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

光明寺 (江東区亀戸)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光明寺
所在地 東京都江東区亀戸3-42-1
位置 北緯35度42分15.1秒 東経139度49分21.3秒 / 北緯35.704194度 東経139.822583度 / 35.704194; 139.822583座標: 北緯35度42分15.1秒 東経139度49分21.3秒 / 北緯35.704194度 東経139.822583度 / 35.704194; 139.822583
山号 亀命山
院号 遍照院
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 弘治元年(1555年
文化財 石造燈籠溝口宣広奉納寛永寺旧蔵(江東区登録文化財)、石造宝篋印塔寛永5年在銘(江東区登録文化財)、木造阿弥陀如来坐像(江東区登録文化財)、木造十一面観音立像二躯(江東区登録文化財)、松植紀年之碑大正5年在銘(江東区登録文化財)、市場通笑碑(江東区登録文化財)、延命地蔵尊碑文久3年在銘(江東区登録文化財)、歌川豊国(国貞)墓(江東区登録文化財)、庚申塔延宝4年在銘(江東区登録文化財)、水盤文化10年在銘(江東区登録文化財)
法人番号 3010605000184 ウィキデータを編集
光明寺 (江東区亀戸)の位置(東京都区部内)
光明寺 (江東区亀戸)
テンプレートを表示

光明寺(こうみょうじ)は、東京都江東区にある天台宗寺院

歴史

[編集]

1555年弘治元年)に開山された[1]

墓地には、「二代目歌川豊国」(実質的には三代目)を自称した歌川国貞の墓がある[1]

文化財

[編集]
  • 石造燈籠溝口宣広奉納寛永寺旧蔵(江東区登録文化財 1982年3月15日登録)[2]
  • 石造宝篋印塔寛永5年在銘(江東区登録文化財 1987年3月26日登録)[3]
  • 木造阿弥陀如来坐像(江東区登録文化財 1990年3月28日登録)[4]
  • 木造十一面観音立像二躯(江東区登録文化財 1995年3月28日登録)[4]
  • 松植紀年之碑大正5年在銘(江東区登録文化財 1996年3月22日登録)[5]
  • 市場通笑碑(江東区登録文化財 1997年3月28日登録)[6]
  • 延命地蔵尊碑文久3年在銘(江東区登録文化財 1997年3月28日登録)[7]
  • 歌川豊国(国貞)墓(江東区登録文化財 1981年4月10日登録)[8]
  • 庚申塔延宝4年在銘(江東区登録文化財 1983年5月31日登録)[9]
  • 水盤文化10年在銘(江東区登録文化財 1985年3月25日登録)[10]

交通アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 山折哲雄 監修、槇野修 著『江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編(PHP新書)』PHP研究所、2011年、272-273p
  2. ^ 石造燈籠溝口宣広奉納寛永寺旧蔵江東区
  3. ^ 石造宝篋印塔寛永5年在銘江東区
  4. ^ a b 有形文化財(彫刻)江東区
  5. ^ 松植紀年之碑大正5年在銘江東区
  6. ^ 市場通笑碑江東区
  7. ^ 有形文化財(歴史資料)江東区
  8. ^ 歌川豊国(国貞)墓江東区
  9. ^ 庚申塔延宝4年在銘江東区
  10. ^ 水盤文化10年在銘江東区

参考文献

[編集]
  • 山折哲雄 監修、槇野修 著『江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編(PHP新書)』PHP研究所、2011年