光明山古墳
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光明山古墳 | |
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墳丘全景(左に後円部、右奥に前方部) | |
所属 | 光明山古墳群 |
所在地 | 静岡県浜松市天竜区山東 |
位置 | 北緯34度52分27.89秒 東経137度49分8.79秒 / 北緯34.8744139度 東経137.8191083度座標: 北緯34度52分27.89秒 東経137度49分8.79秒 / 北緯34.8744139度 東経137.8191083度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長83m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 5世紀中葉 |
史跡 | 国の史跡「光明山古墳」 |
地図 |
光明山古墳(こうみょうさんこふん)は、静岡県浜松市天竜区山東にある古墳。形状は前方後円墳。光明山古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
概要
[編集]静岡県西部、天竜川平野最奥部の舌状丘陵の先端部に築造された古墳である[1]。南側には光明山2号墳(直径33メートルの造出付円墳、現在は消滅)があり、同墳と合わせて光明山古墳群と総称される[2]。古墳名の「光明山」は古墳北側の光明寺に由来する[1]。2017-2018年度(平成29-30年度)に発掘調査が実施されている[2]。
墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける[2]。墳丘は2段築成[1]。墳丘長は83メートルを測り[注 1]、浜松市内では最大規模になる[2]。墳丘表面では葺石・埴輪が検出されている[2]。埋葬施設は未調査のため明らかでない[1]。築造時期は古墳時代中期の5世紀中葉頃と推定され、当該時期としては静岡県内で最大規模の古墳とされる[2]。
古墳域は2020年(令和2年)に国の史跡に指定されている[3]。
遺跡歴
[編集]- 1931年(昭和6年)、明鏡山光明寺が焼失に伴い光明山山頂から現在地に移建[4]。
- 1939年(昭和14年)、古墳として発見[1]。
- 1955年(昭和30年)2月25日、静岡県指定史跡に指定[5]。
- 2015年(平成27年)、東側くびれ部の発掘調査[2]。
- 2017-2018年度(平成29-30年度)、発掘調査(浜松市文化財課)。
- 2019年度(令和元年度)、航空レーザー測量(浜松市文化財課・株式会社フジヤマ)。
- 2020年(令和2年)3月10日、国の史跡に指定[3]。
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墳丘
右に前方部、左奥に後円部。 -
後円部墳丘
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円筒埴輪・朝顔形埴輪
浜松市地域遺産センター展示。
文化財
[編集]国の史跡
[編集]脚注
[編集]注釈
- ^ 墳丘長に関して従来の測量調査では82メートルとされていたが、2018年度(平成30年度)の発掘調査により83メートルと修正されている("状態良好の埴輪出土 浜松・天竜区の光明山古墳"(静岡新聞、2018年11月22日記事))。
出典
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(静岡県教育委員会・浜松市教育委員会、1991年設置)
- 地方自治体発行
- 事典類
- 川江秀孝「光明山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「光明山古墳」『日本歴史地名大系 22 静岡県の地名』平凡社、2000年。ISBN 4582490220。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 関西大学文学部考古学研究室製作 編『静岡県天竜市山東所在光明山古墳測量図』静岡県教育委員会、1996年。
- 浜松市文化財課編 編『光明山古墳』浜松市教育委員会、2019年。
- 『国史跡 光明山古墳(浜松の文化財1)』浜松市文化財課、2021年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
外部リンク
[編集]- 光明山古墳 - 浜松市ホームページ