克軍寺
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克軍寺 | |
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所在地 | 香川県高松市西宝町二丁目4番4号 |
位置 | 北緯34度20分21.6秒 東経134度1分49.6秒 / 北緯34.339333度 東経134.030444度座標: 北緯34度20分21.6秒 東経134度1分49.6秒 / 北緯34.339333度 東経134.030444度 |
山号 |
巖松山 (巌松山) 醫王山(旧称) |
院号 |
本門壽院 延壽院(旧称) |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 天長9年(832年) |
開山 | 円珍 |
正式名 | 巖松山本門寿院克軍寺 |
別称 | 醫王山延壽院金剛寺(旧称) |
法人番号 | 7470005000165 |
克軍寺(こくぐんじ)は、香川県高松市にある天台宗の寺院。山号は巖松山(がんしょうざん)。詳しくは、巖松山 本門寿院 克軍寺と称する。本尊は薬師如来。
概要
[編集]院室である本門寿院(ほんもんじゅいん)の名でも呼ばれる。境内には小堀遠州の作庭と言われる「亀鶴の庭」や、高松藩松平家の女性たちが茶会の名目で密かに信仰していた「切支丹燈籠」がある。
歴史
[編集]天長9年(832年)、円珍により医王山延寿院金剛寺として開山し、円珍作の薬師如来を安置した。
慶安5年(1652年)には高松藩初代藩主松平頼重が、当寺境内に徳川家康を祀った新たな社殿を建立したが、この御神体は文化12年(1815年)、高松藩第8代藩主松平頼儀によって讃岐東照宮(屋島神社)に移されている[1]。
1904年(明治37年)には境内裏山に新四国庵を創設し、そこに1909年(明治42年)から1915年(大正4年)にかけてミニ四国八十八箇所を開創している。しかし寺は1945年(昭和20年)7月4日の米軍による無差別絨毯爆撃「高松空襲」によって全焼し、諸堂・庫裡などが全て失われた。そこで失われた本堂は1956年(昭和31年)に再建されている。