児山祐斗
シティライト岡山硬式野球部 監督 | |
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シティライト岡山時代 (2019年4月20日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県総社市 |
生年月日 | 1995年9月1日(29歳) |
身長 体重 |
178 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2013年 ドラフト5位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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児山 祐斗(こやま ゆうと、1995年9月1日 - )は、岡山県総社市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現在は社会人野球チームのシティライト岡山で監督を務める。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]総社東野球スポーツ少年団で野球を始め、総社市立総社東中学校時代は軟式野球部に所属していた。
関西高等学校への進学後は、1年秋からベンチ登録を果たすと、2年春にエースの座を獲得。2年秋には、県大会・中国大会優勝、神宮大会準優勝を果たす。3年春の選抜大会では、和田恋擁する高知を6回まで2安打6奪三振無失点に抑えたが、終盤捕まり7回2/3を5失点で初戦敗退となった。1学年後輩に小郷裕哉がいる。
2013年のプロ野球ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから5巡目で指名。契約金2,500万円、年俸480万円(金額は推定)という条件で入団した[1]。背番号は61。
ヤクルト時代
[編集]2016年10月1日に球団から戦力外通告を受けた[2]。12月2日、自由契約公示された[3]。
NPB他球団での現役続行を希望し、11月12日には、阪神甲子園球場で開催の12球団合同トライアウトに参加。シートバッティング形式の対戦で、打者3人を相手に、1奪三振1与四球という結果を残した[4]。しかし、獲得球団は現れなかった。
ヤクルト退団後
[編集]2017年から、地元の岡山県に本拠地を置く社会人野球のシティライト岡山でプレー[5]。
2019年の第90回都市対抗野球大会予選では代表決定戦で完投し、チームを全国大会初出場に導いた[6]。
2022年から投手コーチを兼任。
2024年の都市対抗野球予選終了後、桐山拓也監督の退任に伴い監督に就任すると共に選手としては一線を退いた[7]。
選手としての特徴
[編集]テイクバックが小さく、球持ちがいいフォームから最速140km/hのストレートと、スライダー、カーブを操る[8]。その一方で、実戦に使える変化球の種類が少ないため、縦に曲がるスライダーやフォークボールの習得を目指していた[8]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 61 (2014年 - 2016年)
脚注
[編集]- ^ “関西高・児山投手、ヤクルトと仮契約 岡山”. 朝日新聞デジタル (2013年11月21日). 2013年11月21日閲覧。
- ^ “戦力外通告について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
- ^ “自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
- ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日) 2016年11月13日閲覧。
- ^ “元ヤクルト児山がシティライトに 岡山で再出発 全国大会出場貢献を”. 山陽新聞 (2017年2月6日). 2017年3月30日閲覧。
- ^ “第90回 都市対抗 中国2次予選 第1試合(6月3日)”. www.jaba.or.jp. 2019年6月5日閲覧。
- ^ “【新体制のご報告】”. シティライト岡山 硬式野球部 @citylight2007. 2024年9月11日閲覧。
- ^ a b “神宮つばメ~ル(第1、3月曜更新) : 第44回 ドラフト5位・児山祐斗、威風堂々と勝負する左腕”. スポーツコミュニケーションズ (2014年1月20日). 2014年6月22日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 児山祐斗 (@yhkdfm6) - X(旧Twitter)
- 13 児山 祐斗 - シティライト岡山 硬式野球部 オフィシャルサイト