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児玉三代子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
児玉 三代子
Miyoko Kodama
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1939-08-08) 1939年8月8日(85歳)
出身地 鹿児島県鹿児島市
ラテン文字 Miyoko Kodama
身長 172cm
体重 60kg
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児玉 三代子(こだま みよこ、1939年8月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。

来歴

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鹿児島県鹿児島市出身。「好きだったので」中学3年次よりバレーボールを始める。鹿児島実践女子高校卒業を経て、鐘紡博多チームに入部。さらに四日市チームに転勤、移籍した。

1962年に全日本メンバーに選出され、アジア大会に出場。金メダル獲得に貢献した[1]

人物・エピソード

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鐘紡四日市工場では給与係として勤務した。給与係の多くがバレーボール部員だったため、他の同僚に仕事を託すこともできず残業し、仕事とバレーボールの両立を図ったという。

Vプレミアリーグ東レ野村明日香は児玉の孫である[2]

球歴

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  • 所属チーム履歴
鹿児島市立長田中学校鹿児島実践女子高校鐘紡博多/鐘紡四日市
  • 全日本代表 - 1962年

脚注

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  1. ^ 鐘紡百年史 発行:鐘紡(株) 編集:鐘紡(株)社史編纂室 発行日:1988年10月
  2. ^ 『月刊バレーボール』2010年2月号 85ページ

参考文献

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  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1963年5月号 54ページ