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児玉少介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

児玉 少介(こだま しょうすけ、1836年天保7年10月)- 1905年明治38年)11月14日[1])は、幕末長州藩士明治期の官僚政治家元老院議官貴族院勅選議員。名・真咸、字・士常[2]。通称・吉太郎[2]、少輔[3]。号・奎海[2]

経歴

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長州藩士・児玉惣兵衛真敏、政夫妻の長男として生まれる[2][3][4]藩校明倫館で学び、その後諸国で修行[2]文久3年、孝明天皇石清水八幡宮行幸に供奉する長州藩世子・毛利定広に随行した[2][4]下関戦争では癸亥丸に乗組み従軍し、その後、国事に奔走した[2][4]

明治維新後、新政府に出仕し、明治5年1月1872年京都府十等出仕となる[3]。以後、奈良県十一等出仕、正院印刷局書史課長、大蔵省紙幣大属、内務省図書大属・庶務課長、工部省雇、太政官御用掛、参事院法制部勤務、太政官修史館第五局勤務、工部少書記官、工部省総務局記録課長、内閣臨時建築局庶務部長、同書記部長などを歴任[3]

1890年6月12日、元老院議官に就任。同年10月20日、元老院が廃止され議官を非職となり[3]1893年6月21日、依願免本官[5](諭旨免官[6])となった。1896年9月11日、貴族院議員に勅選され[7]、死去するまで在任した[1]

その他、大阪商船監査役、入山採炭監査役などを務めた[8]

墓所

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栄典

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位階
勲章等

人物

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  • 風流を嗜み、漢詩を能くした[2]

著作

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  • 『花影鶴蹤』児玉少介、1898年。
  • 『集古梅花詩』上・下、児玉少介、1901年。

親族

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脚注

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  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』123頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『増補 近世防長人名辞典』113頁。
  3. ^ a b c d e 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』501-507頁。
  4. ^ a b c 『幕末維新大人名事典』上巻、527頁。
  5. ^ 『官報』第2993号、明治26年6月22日。
  6. ^ 「非職元老院議官児玉少介依願本官被免ノ件」
  7. ^ 『官報』第3964号、明治29年9月12日。
  8. ^ 『明治過去帳』新訂初版、963頁。
  9. ^ 『官報』第2094号「叙任及辞令」1890年6月24日。
  10. ^ 『官報』第3001号「叙任及辞令」1893年7月1日。
  11. ^ 『官報』第6716号「叙任及辞令」1905年11月16日。
  12. ^ 『官報』第1935号「叙任及辞令」1889年12月9日。

参考文献

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  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 吉田祥朔『増補 近世防長人名辞典』マツノ書店、1976年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』柏書房、1995年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。
  • 内閣「非職元老院議官児玉少介依願本官被免ノ件」明治26年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・任B00012100