コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

兒玉常雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
兒玉 常雄
こだま つねお
生誕 1884年3月29日
日本の旗 日本東京府
死没 (1949-10-03) 1949年10月3日(65歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1905 - 1932
最終階級 陸軍航空兵大佐
除隊後 満洲航空株式会社社長、中華航空株式会社総裁、大日本航空株式会社総裁
テンプレートを表示

兒玉 常雄(児玉常雄、こだま つねお、1884年明治17年)3月29日 - 1949年昭和24年)10月3日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍航空兵大佐

経歴

[編集]

東京府出身。後に陸軍大将となる児玉源太郎の四男として生まれる。陸軍中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)3月30日に陸軍士官学校(17期)を卒業し、同年4月21日に工兵少尉に任ぜられる[1]1907年(明治40年)12月21日に工兵中尉に昇進[2]後、陸軍砲工学校(15期)高等科を卒業[3]、更に員外学生として在学し、1913年(大正2年)7月10日には東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業した[4]1914年(大正3年)9月9日に工兵大尉に昇進した[5]

その後、陸軍兵器本廠付等を経て、1921年(大正10年)4月20日に工兵少佐に昇進[6]し、1923年(大正12年)4月1日、航空局航空官(高等官四等)を任ぜられる[7]1925年(大正14年)3月18日工兵中佐に昇進[8]後、同年5月1日航空兵中佐に転科した[9]。さらに、1928年(昭和3年)8月10日に航空兵大佐に昇進[10]し、1932年(昭和7年)1月28日に逓信省事務官を仰せつけられ[11]、同年9月19日予備役に編入された[12]

その後、満洲航空株式会社副社長となり、同社社長、中華航空株式会社総裁、大日本航空株式会社総裁を歴任した。

栄典

[編集]
位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

[編集]
  • 秀雄 - 兄(長男)。官僚、政治家。
  • 友雄 - 兄(三男)。陸軍中将。

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第6540号、明治38年4月22日。
  2. ^ 『官報』第7347号、明治40年12月23日。
  3. ^ 『官報』第7937号、明治42年12月7日。
  4. ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日。
  5. ^ 『官報』第634号、大正3年9月10日。
  6. ^ 『官報』第2614号、大正10年4月21日。
  7. ^ 『官報』第3200号、大正12年4月4日。
  8. ^ 『官報』第3770号、大正14年3月19日。
  9. ^ 『官報』第3806号、大正14年5月2日。
  10. ^ 『官報』第488号、昭和3年8月11日。
  11. ^ 『官報』第1522号、昭和7年1月29日。
  12. ^ 『官報』第1719号、昭和7年9月20日。
  13. ^ 『官報』第6572号、明治38年5月30日。
  14. ^ 『官報』第7418号、明治41年3月23日。
  15. ^ 『官報』第241号、大正2年5月21日。
  16. ^ 『官報』第1782号、大正7年7月11日。
  17. ^ 『官報』第4196号、大正15年8月18日。
  18. ^ 『官報』第1415号、昭和6年9月15日。
  19. ^ 『官報』第7035号、明治39年12月10日。
  20. ^ 『官報』第539号、大正3年5月18日。
  21. ^ 『官報』第4153号、大正15年6月28日。

関連項目

[編集]
先代
荣源
満洲航空社長
1938年 - 1940年
次代
大江亮一
先代
新設
中華航空総裁
1938年 - 1943年
次代
安辺浩
先代
中川健藏
大日本航空総裁
1943年 - 1945年
次代
解散