入江莞爾
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入江 莞爾 | |
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生誕 |
1889年1月15日 日本 広島県 |
死没 | 1965年12月3日(76歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
入江 莞爾(いりえ かんじ、1889年(明治22年)1月15日[1] - 1965年(昭和40年)12月3日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]
経歴
[編集]1889年(明治22年)に広島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1937年(昭和12年)3月5日に独立野砲兵第11連隊長(支那駐屯軍・独立混成第11旅団)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。11月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に独立高射砲第11連隊に転じ[2]、1938年(昭和13年)8月1日に陸軍防空学校教官[2]、12月10日に陸軍防空学校幹事を歴任した[2]。
1940年(昭和15年)8月1日に陸軍少将進級と同時に東部軍兵器部長に着任[1][2]。1941年(昭和16年)7月19日に東京第1防空隊司令官に転じ[1]、11月19日に東部防空旅団長[1]、1942年(昭和17年)5月4日に千葉陸軍防空学校長を経て[1]、1944年(昭和19年)8月22日に名古屋高射砲隊司令官に就任した[1]。1945年(昭和20年)5月5日に高射砲第2師団長に就任し[1]、名古屋で防空の任に就いた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。