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全一洙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
全日洙(チョン・イルス)
Jeon Il-Soo
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 京畿道水原市
生年月日 (1968-07-02) 1968年7月2日(56歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 1次ドラフト
初出場 1991年
最終出場 1994年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

全 日洙(チョン・イルス、朝鮮語: 전일수1968年7月2日 - )は 韓国プロ野球太平洋ドルフィンズに所属していた大韓民国出身のプロ野球選手投手)。現KBO審判員。

経歴

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高校時代は1年時から全国32強に上がるのに大きく貢献するほど優秀な投手だった。

さらに3年の時である1986年には8強戦で投手でありながら決勝3点ホームランを打った。さらに韓日高校野球大会代表チームに選抜されたりもした。

大学に進学した1987年にはソウルオリンピック野球に備えたアマチュア1次国家代表チームに選抜された。翌年は22イニングの間で自責点2だけを記録し、個人優秀投手賞に選ばれた。

一方、韓米アマチュア野球選手権大会、世界野球選手権大会などの代表チームには選抜されたが、二つの大会で目立った成績を出すことができなかったため1988ソウルオリンピック野球代表チーム最終エントリーには入ることができなかった。

以後大学野球で着実に良い成績を出し、182cmの大きい身長から出る剛速球と良い体力を高く評価されて1991年太平洋ドルフィンズから1次指名を受けて契約金3,800万ウォンに年俸1,200万ウォンで契約する。

だが、アマチュア時期の酷使のせいなのか、肩を負傷しルーキーイヤーは3試合の出場に終わった。翌年に打者転向を決断。

1992年シーズン中にウェーバー公示にかけられて放出された。韓国プロ野球でウェーバー公示により契約を解除された選手は彼が最初である。

放出以後LGツインズ年俸150万ウォンの練習生として契約した。

1993年からリハビリを通じて再び投手で切り替える。

1994年には4月29日にOBベアーズを相手に5イニング無失点1三振で入団4年ぶりにデビュー初めての先発勝利を上げるなど初期には先発投手として3勝を上げるなどよい活躍をしたが、シーズン中盤からはリリーフ要員でさらに多く出場した。 最終成績は30試合出場して45イニング20失点(17自責)、25奪三振、3勝。

だが翌年である1995年は一軍出場ができず、10月30日に自由契約選手として公示され事実上放出された。

1996年4月からKBOリーグ審判委員として活動している[1]

詳細情報

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出身学校

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背番号

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  • 14 (1991年 - 1992年途中)
  • 42 (1992年途中 - 1995年)

脚注

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