全一洙
基本情報 | |
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国籍 | 大韓民国 |
出身地 | 京畿道水原市 |
生年月日 | 1968年7月2日(56歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1991年 1次ドラフト |
初出場 | 1991年 |
最終出場 | 1994年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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全 日洙(チョン・イルス、朝鮮語: 전일수、1968年7月2日 - )は 韓国プロ野球・太平洋ドルフィンズに所属していた大韓民国出身のプロ野球選手(投手)。現KBO審判員。
経歴
[編集]高校時代は1年時から全国32強に上がるのに大きく貢献するほど優秀な投手だった。
さらに3年の時である1986年には8強戦で投手でありながら決勝3点ホームランを打った。さらに韓日高校野球大会代表チームに選抜されたりもした。
大学に進学した1987年にはソウルオリンピック野球に備えたアマチュア1次国家代表チームに選抜された。翌年は22イニングの間で自責点2だけを記録し、個人優秀投手賞に選ばれた。
一方、韓米アマチュア野球選手権大会、世界野球選手権大会などの代表チームには選抜されたが、二つの大会で目立った成績を出すことができなかったため1988ソウルオリンピック野球代表チーム最終エントリーには入ることができなかった。
以後大学野球で着実に良い成績を出し、182cmの大きい身長から出る剛速球と良い体力を高く評価されて1991年に太平洋ドルフィンズから1次指名を受けて契約金3,800万ウォンに年俸1,200万ウォンで契約する。
だが、アマチュア時期の酷使のせいなのか、肩を負傷しルーキーイヤーは3試合の出場に終わった。翌年に打者転向を決断。
1992年シーズン中にウェーバー公示にかけられて放出された。韓国プロ野球でウェーバー公示により契約を解除された選手は彼が最初である。
放出以後LGツインズ年俸150万ウォンの練習生として契約した。
1993年からリハビリを通じて再び投手で切り替える。
1994年には4月29日にOBベアーズを相手に5イニング無失点1三振で入団4年ぶりにデビュー初めての先発勝利を上げるなど初期には先発投手として3勝を上げるなどよい活躍をしたが、シーズン中盤からはリリーフ要員でさらに多く出場した。 最終成績は30試合出場して45イニング20失点(17自責)、25奪三振、3勝。
だが翌年である1995年は一軍出場ができず、10月30日に自由契約選手として公示され事実上放出された。
1996年4月からKBOリーグ審判委員として活動している[1]。
詳細情報
[編集]出身学校
[編集]背番号
[編集]- 14 (1991年 - 1992年途中)
- 42 (1992年途中 - 1995年)
脚注
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